【あさが来た】今井家が関わる「国立銀行」って?モデルは「第一国立銀行」

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」第8週(11月16日〜)では、あさ(波瑠)の生家である京都の今井家が東京に移転し、日本で初めてとなる「国立銀行」設立のために動き始めます。

この記事では、今井家が設立する「国立銀行」とはどのようなものだったのか、史実の「三井家」が設立した「第一国立銀行」(現・みずほ銀行)を参考にしてまとめてみます。

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目次

今井家、東京へ移転。日本初の「国立銀行」設立へ

時は明治5年(1872年)。祖父・忠政(林与一)が亡くなり実家へと帰ったあさ(波瑠)は、父・忠興(升毅)から今井家が東京に移転することを知らされます。

早くから明治新政府に肩入れしていた今井家は、政府からの要請もあり、複数の商家とともに「国立銀行」をつくることになります。

その設立準備のため、今井家は東京へ居を移すとともに、末っ子・久太郎改め忠嗣(興津正太郎)も、銀行業見学のために海路アメリカへと向かうことになるのです。

「第一国立銀行」(現・みずほ銀行)がモデル

今井家が東京で設立に関わる「国立銀行」は、広岡浅子(あさのモデル)の生家・三井家が設立に参加した「第一国立銀行」がモデルになっています。

明治5年秋。アメリカの「ナショナル・バンク制度」を参考にした「国立銀行条例」が発布され、時代の趨勢は銀行設立に向かい大きく動き始めます。

明治新政府から重用されていた三井一族(三井組)も、早くから商業銀行の設立に情熱を持ち、日本初の銀行建築「三井組ハウス(日本橋兜町・海運橋たもと)」をすでに完成させていました。

三井組と小野組の共同設立に

しかし、当時大蔵省で国立銀行の準備に当たっていた渋沢栄一は、一財閥が独走で銀行を設立するのを良しと考えず、三井組、それに同じく銀行設立を考えていた小野組の共同出資による、政府主導の銀行設立を提案します。

独自の私立銀行設立を希望していた三井、小野両組は不満もありましたが、「公金取り扱いの特権剥奪」を条件に出されたことでこれを承諾。

翌明治6年(1873年)に、三井・小野合作の「第一国立銀行」を前述「三井組ハウス」にて発足させています。大蔵省を辞した渋沢が「第一国立銀行」総監督に、浅子の義兄・三井高喜が取締役に就任しています。

※「国立銀行」は「ナショナル・バンク」をそのまま訳したものであり、「国立銀行条例」に基づき日本で産声をあげた「国立銀行」は、政府主導ながら実質的には民間銀行でした。

▼現在は「みずほ銀行兜町支店」が建つ、第一国立銀行・開業の地(東京都中央区日本橋兜町4-3)。和洋折衷5階建て、壮麗な「海運橋三井組ハウス」がここに建っていた。

後に三井銀行を単独で設立

その後、三井家は明治9年(1876年)に「国立銀行条例」の大幅な規制緩和を受けて、第一国立銀行の業務から離脱。銀行の称号を使用した日本初の私立銀行である、念願の「三井銀行」(現在の三井住友銀行)を設立しています。

ドラマ「あさが来た」では「三井銀行」は「今井銀行」として登場する見込みです。

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