NHK連続テレビ小説「ブギウギ」11月21日(火)放送の第37回より。
この日の放送では、いよいよ出征する六郎を見送る梅吉と銭湯の常連客たちの姿が描かれましたが、その中でアサが六郎の「行ってまいります」という出征の挨拶を「行ってきます」に訂正させています。
心優しいアサらしくない?少し引っ掛かる言動でしたので、その真意や意味を考察してみたいと思います。
息子も出征していたアサ「まいりますはあかんで」
徴兵検査で甲種合格(第一級)となり、赤紙が届いて出征することになった花田六郎(黒崎煌代)。六郎は自分が国から必要とされているという事実に喜んでいるようですが、梅吉(柳葉敏郎)やツヤ(水川あさみ)は複雑な表情を見せています。
銭湯「はな湯」の常連客たちも、休憩室で「戦争ごっこ」をしてはしゃぐ六郎をにこやかに眺めつつも、内心では複雑な思いを抱えているのかも知れません。
そして迎えた出征当日。六郎は梅吉やアサら常連客たちから盛大な見送りを受けると、「花田六郎、行ってまいります!」と元気な挨拶を見せています。この時の会話が少し意味深でしたので、やり取りを書き出してみます。
六郎「ほな、花田六郎、行ってまいります!」
アサ「まいりますはあかんで、生きて帰るつもりに聞こえるらしいわ。ワテの息子も「行きます」いうて行ったんや」
六郎「花田六郎、行きます!」
梅吉「…(六郎を抱きしめて号泣)」
常連客たち「バンザ〜イ!バンザ〜イ!」
アサの発言の真意とは?
明るく優しい人柄で、長年スズ子や六郎の成長を見守ってきた常連客のアサ(楠見薫)。
それだけに、六郎に対し「生きて帰ってくるな」と言わんばかりのアサの発言に驚いた方も多いでしょう。アサさん、一体どうしてしまったの?と疑問に思える発言でしたが、当ブログなりにアサの発言の真意を推察してみたいと思います。
【補足】「行ってまいります」は外出する際に家人に言う挨拶の言葉で、「行ってきます(行って来ます)」の丁寧な言い方(謙譲語)。その使用シチュエーションや「行って→来ます」の意味からも、「行って(無事に)帰ってくる」という意味が込められていると解釈できます。
これに対し、自らの命の終わりを覚悟して飛び立った特攻隊の若者たちは、「お先に行きます」「元気に征きます」などの最後の言葉を残したと伝わります。
推察①本気で「お国のため」を思っての発言
いくら心優しいアサとはいえ、戦時下の情報コントロールの中で客観的な意見を持ち続けることは難しいのかも知れません。
すでにアサは愛する息子を兵隊に取られるという辛い経験をしており、その理不尽な状況を受け入れるため(納得するため)にもこの戦争が正義のため、お国のためだと信じようとしているのかも知れません。
もしそうであれば、未来ある若者たちを「行きます(往きます)」と言わせて送り出したアサは、戦後に後悔の念を抱えて生きていくことになるかも知れません。
推察②「行きます」=「生きます」を願った?
これはSNS上で書かれていた説ですが、アサは「行きます」を「往きます(逝きます)」ではなく「生きます」という意味を込めて言わせたのではないか?とも考えられます。
悲しみを堪えて前向きに六郎を送り出した梅吉やツヤを見てもわかる通り、すでにこの当時(1939年・昭和14年)の日本は戦争に前のめりの状態であり、出征兵に対し「生きて帰ってこい」などと言ってはいけない空気だったのでしょう。
アサは近所の人たちにバレないように六郎(と息子)に「生きます」と言わせ、心の中で無事の生還を祈っていたのかも知れません。というか、そうであって欲しいですよね。
ツヤの重病、六郎の出征、そして梅丸楽劇団とスズ子への厳しい弾圧…。これまで明るく展開してきた「ブギウギ」のストーリーですが、ここからしばらくは重苦しい日々が続きそうです。
【追記】
翌日11月22日(水)の第38回では、入隊前に東京のスズコのもとを訪ねてきた六郎の姿が描かれています。翌朝の見送りの際には以下のような姉弟の会話を交わしています。
六郎「ほな、行ってまいります!あ、まいりますはあかん言われたんや。生きて帰るみたいやから「行きます」言えて」
スズ子「ほなら、「まいります」でええ」
六郎「そやな、「まいります」や、うん」
建前などなしに、ただ生きて帰ってきてほしいという姉弟の会話でしたね。このやり取りを見ると、やはりアサの発言は本気でお国のために死んでこい、という意味だったのでしょうか…。
▼六郎のモデルになっている笠置シヅ子の愛弟・亀井八郎。丸亀連隊に入隊した彼の運命は…。