「ブギウギ」出征した六郎は戦死してしまう? 「大空の弟」モデル・亀井八郎の出征、生死は?

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NHK連続テレビ小説「ブギウギ」第8週では、スズ子の愛弟・花田六郎のもとに召集令状=赤紙が届き、さまざまな思いの中で六郎は出征をしていくことになります。

このエピソードは、笠置シヅ子の弟・亀井八郎が出征した史実がもとになっています。この記事では亀井八郎の戦争での安否や、八郎をモチーフに服部良一が作曲した笠置シヅ子の幻の楽曲「大空の弟」についてまとめます。

※この記事の後半ではドラマのネタバレになるであろう史実についても言及しますので、ご注意ください。

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目次

【ブギウギ】召集令状が届き喜ぶ六郎 その本心は…

幼少期から鈍臭いところがあり、周囲から褒められることも少なかったスズ子の弟・六郎(黒崎煌代)。それだけに徴兵検査で「甲種合格(こうしゅごうかく)」になったことが嬉しかったようで、六郎は東京にいるスズ子に嬉しそうに甲種合格の結果を報告しています(第7週・第32回)。

※徴兵検査の合格基準は、上から甲種、乙種、丙種、丁種、戊種の5種類でした。上から2つの甲種、乙種は現役に適すると判断された心身健康な人物であり、特に甲種は体格に優れすぐに現役兵に採用できるという「第一級」の判定でした。

第8週放送では時代が1939年(昭和14年)に進み、ナチスドイツがポーランドに侵攻。いよいよ第二次世界大戦が始まろうとしていました。

ツヤ(水川あさみ)の体調が優れない中、六郎のもとには召集令状(赤紙)が届いて出征が決定。六郎は入隊を前に頭を丸刈りにし、これまでお世話になった人たちを訪ねて回ります。六郎本人は出征に前向きに見えますが、梅吉、ツヤは複雑な気持ちのようです。

身支度や挨拶を済ませた六郎は、予定よりも少し早く梅吉や常連客らに見送られて大阪を出立すると、その足で東京のスズ子のもとを訪ねます。六郎は出征を前に、仲良しの姉と話がしたかったようです。

スズ子は下宿先の主人の小山チズ(ふせえり)と吾郎(隈本晃俊)に頼み込んで六郎にたらふくご飯を食べさせてあげると、久しぶりに姉弟の水入らずの楽しい時間を過ごすことになります。

夜に寝床に入った六郎は、実は戦争に行くのが怖いこと、死にたくないことを泣きながらスズ子に打ち明けて…。

【史実ネタバレ】笠置シヅ子の愛弟・亀井八郎 丸亀連隊に入営

笠置シヅ子の実父と実母
笠置シヅ子の実父と実母

【補足知識】ドラマで描かれたのと同様に、笠置シヅ子(「ブギウギ」福来スズ子のモデル)は香川で生まれた後に大阪の亀井音吉・うめ夫妻の養子となっています。音吉・うめ夫妻には上から頼一、正雄、八郎と3人の実子(男子)がいましたが、頼一と正雄は早世。無事に育った三男・八郎と2歳上だった養子のシヅ子(本名:亀井静子)は仲良しの姉弟として育っています。シヅ子は17歳の時に香川・三谷家の法事に出席し、自らの生い立ち(実父母の存在)を知っています。

笠置シヅ子の2歳下の弟・亀井八郎(「ブギウギ」花田六郎のモデル)は、1935年(昭和10年)に19歳で床屋を開業したものの、その3年後の1938年(昭和13年)1月に丸亀連隊(丸亀歩兵第12連隊)に入営をしています。

シヅ子は血こそ繋がっていないものの仲良し姉弟として育った八郎のことをとても可愛がっていたそうです。八郎は入営当日、シヅ子の手をしっかりと握り「生きて帰れるかどうかわからん。僕にかわって家のことはあんじょう頼みまっせ」と託し、家をあとにしたそうです。

同年の春には、シヅ子が松竹楽劇団(SGD)に参加するために大阪の親元を離れて上京。その翌年の1939年(昭和14年)には、シヅ子の養母・うめ(「ブギウギ」花田ツヤのモデル)が胃がんと心臓病により急逝してしまいます。

これにより養父の音吉(「ブギウギ」花田梅吉のモデル)は一人大阪に取り残されてしまったため、上京していたシヅ子は東京・三軒茶屋の借家に音吉を呼び寄せて、親娘での生活をスタートさせています。

※亀井音吉は愛妻を失った当時まだ還暦前でしたが、すっかり働く気力をなくしてしまっています。

「ブギウギ」でも、ツヤを失い落胆する梅吉が東京のスズ子のもとに身を寄せる展開となりそうです。史実と同様に、梅吉が次第にやさぐれていく姿が描かれそうです。

著:笠置シヅ子
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【史実ネタバレ】仏領インドシナ沖に散った八郎

残念ながら八郎の「生きて帰れるかどうかわからん」という予感は的中してしまいます。

1941年(昭和16年)7月、八郎は日本軍の「南部仏印進駐(フランス領インドシナへの進駐)」に出征すると、同年12月6日に仏領インドシナ沖の海域(現在のベトナム沖)で戦火に散っています。

これにより亀井音吉・うめ夫妻の実子3人(頼一、正雄、八郎)はすべて亡くなってしまったことになり、残された音吉、そしてシヅ子の落胆は相当に大きなものだったようです。

【史実ネタバレ】服部良一が作ってくれた八郎の歌「大空の弟」

シヅ子の「師匠」だった作曲家の服部良一(「ブギウギ」羽鳥善一のモデル)は、愛弟を亡くしたシヅ子のために八郎への思いを込めた「大空の弟」という楽曲を作詞作曲しています(※作詞は服部良一のペンネーム「村雨まさを」名義)。

「大空の弟」は、戦地に出兵した八郎とシヅ子とのやり取り(書簡)にメロディーを付けたミュージカル調の楽曲。音源も楽譜も残されていなかったため、戦後には笠置シヅ子の「幻の楽曲」となっていました。

しかし近年、笠置シヅ子を主人公にした舞台「SIZUKO ! QUEEN OF BOOGIE ~ハイヒールとつけまつげ~」(主演・神野美伽)の製作を進める過程で、服部家の所蔵庫から「大空の弟」の楽譜が発見されています。

こうした経緯により笠置シヅ子・服部良一による幻の曲「大空の弟」は、同舞台で笠置シヅ子役を演じた演歌歌手・神野美伽の歌声によって現代に蘇っています。

朝ドラ「ブギウギ」でもスズ子が万感の思いを込めて歌う「大空の弟」が聞けそうです。

▼戦後の1952年(昭和27年)、シヅ子は養母・うめの故郷である香川の萬生寺(まんしょうじ)に二基の墓(うめと八郎の墓。後に音吉もこの墓に入った)を建て、愛する家族を弔っています。

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