放送も第二週目に入ったNHK連続テレビ小説「花子とアン」。その中で気になるのが、繰り返しでてくる言い回し「ごきげんよう」ではないでしょうか。
東京の女学校で出会った「ごきげんよう」
父の熱心な薦めもあり東京の修和女学校に編入した安藤はな(山田望叶)。はなは寄宿舎に入り、体験したことがない共同生活がスタートします。山梨の田舎育ちのはなを驚かせたのが、慣れない洋食スタイルでの食事作法であり、女学校お決まりの挨拶である「ごきげんよう」です。
この「ごきげんよう」という言葉。番組開始当初から、ナレーションの美輪明宏が「ごきげんよう さようなら」を締めの言葉として使っていたので、気になっていた方も多いと思います。
東洋英和といえば「ごきげんよう」
主人公・安藤はなのモデルである村岡花子は、東京・麻布の「東洋英和女学院」に通っていました。この東洋英和女学院は現在でもいわゆる「お嬢様学校」のイメージで知られるキリスト教系の女学校です。
東洋英和といえば、現在でも朝の挨拶、授業の始めと終わり、そして礼拝に行く前などに「ごきげんよう」の挨拶をすることで有名です。当時東洋英和で教育を受けた村岡花子も、「ごきげんよう」という挨拶が当たり前の中で学生生活を送りました。
「ごきげんよう さようなら」は村岡花子のラジオ番組から
そんな「ごきげんよう」の言葉が国民に広く知れ渡ったのは戦前のこと。
JOAK(現・NHK東京の前身)によるラジオ番組「子供の時間」の中の「子供の新聞」というコーナーに出演していた村岡花子は、「また明日お話しましょうね。では皆さん、ごきげんよう さようなら」という挨拶を締めの定番にしていました。(花子は1932年から9年間、同番組を担当)
当時は、放送媒体といえばラジオしかなかった時代。村岡花子は「ラジオのおばさん」として有名人だったようで、花子が語る「ごきげんよう さようなら」は流行語にもなったそうです。
美輪明宏のナレーションが語る「ごきげんよう さようなら」は、当時の花子の「決めゼリフ」から取られたものなのです。
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