九州最大の都市である「福岡」。その街の名は、福岡城を築き福岡の街の礎を作った「黒田家」の歴史に由来します。
NHK連続テレビ小説「軍師官兵衛」最終回でも、福岡城が名付けられた由来が語られます。
大大名となった黒田長政 福岡城築城
関ヶ原の戦いでの武功が高く評価され、黒田長政は徳川家康から筑前(現在の福岡県西部地域)五十二万石を与えられ、一躍大大名へとのし上がります。
官兵衛と長政は福崎丘陵(現在の舞鶴公園)に新しい城を建設し、これを福岡城と名付けました。これが現在の「福岡」の都市名の始まりです。
この「福岡城」という城の名前ですが、黒田家ゆかりの地「備前福岡」(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)から付けられています。
山陽道屈指の中世都市だった「備前福岡」
備前福岡は国宝「一遍上人絵伝」にも描かれた「福岡の市」で有名な場所です。中世以降、吉井川の水運と山陽道との結節点であったことなどから「市」が立ち、人・物資・金が集まる集積地として大いに賑わいました。街の規模は山陽道でも屈指だったそうです。
「福岡」の地名は、「丘のある土地」を由来とした佳称(縁起のいい呼び名)だと考えられます。
▼「晴れの国おかやま景観百選」にも選ばれている備前福岡の町並み。整然と区画された街路が、往時の歴史を物語ります。
近江を追われた黒田家再出発の地
黒田家は官兵衛の曾祖父・高政の代に近江を追われ、備前福岡に移住しています。高政とその息子・重隆(官兵衛の祖父)は一族とともに、逃げるようにしてこの地へやってきました。当時山陽道で隆盛を極めた「福岡の市」の混沌に身を寄せ、黒田家のを誓ったのです。
やがて息子・重隆が播磨の小寺氏に仕え、目薬屋として商才を発揮するなどして、黒田家再興の基礎を築きます。以後、職隆〜官兵衛〜長政(姫路→中津→福岡)と続く黒田家の隆盛、急成長はドラマ「軍師官兵衛」で描かれた通り。そのスタートとなったのが、備前福岡の地なのです。
初心を忘れず、備前福岡のような繁栄を
筑前・福岡城築城の際に黒田家は「是本を重んじ始を忘れざるの意」、つまり黒田家の来し方、初心を忘れずに居よう、この地を先祖ゆかりの地・備前福岡のように民が栄える豊かな場所にしたい…そう考え、新しい城に「福岡城」と名付けたのです。
▼備前福岡の妙興寺に残る「黒田家墓所」。官兵衛の曾祖父・高政の墓があります。その斜め向かいには、宇喜多直家の父・宇喜多興家の墓もあります。
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