朝ドラ「マー姉ちゃん」ヒロイン・磯野マリ子(熊谷真実) モデルは長谷川町子の姉・毬子

NHK BSで2021年9月からアンコール放送される、1979年放送の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」。この記事では、熊谷真実が演じているヒロイン・磯野マリ子のモデルとなっている人物をまとめます。

「サザエさん」長谷川町子の自伝が原作

朝ドラ「マー姉ちゃん」は、漫画「サザエさん」の作者として知られる国民的漫画家・長谷川町子の自伝エッセイ漫画「サザエさんうちあけ話」が原作となっています。

若き日の熊谷真実が演じるヒロイン・磯野マリ子は、長谷川町子の姉で画家、イラストレーター、実業家として活躍した長谷川毬子(はせがわ・まりこ)がモデル

物語は、マリ子の妹・マチ子(長谷川町子がモデル)、末妹・ヨウ子(末妹・長谷川洋子がモデル)、それに三姉妹の母・はる(長谷川姉妹の母・貞子がモデル)を中心とした磯野家のファミリーストーリーと、国民的漫画「サザエさん」が誕生していく過程などが、長姉・マリ子の視線を通して描かれていきます。

磯野家を中心とした主な登場人物、演者は以下の通り。後に朝ドラ「おしん」(1983年)でヒロインを演じることになる女優・田中裕子が妹・マチ子役を演じており、こちらも注目です。

ヒロイン・磯野マリ子(熊谷真実)
妹・磯野マチ子(田中裕子)
妹・磯野ヨウ子(早川里美)
母・磯野はる(藤田弓子)

マリ子の夫・東郷新八郎(田中健)
マチ子の恩師・田河水泡(愛川欽也)
作家・菊池寛(フランキー堺)

▼ヒロインを演じた熊谷真実は、東京都杉並区出身の61歳の女優(2021年現在)。「マー姉ちゃん」でヒロインを務めた翌年の1980年にはエランドール賞新人賞を受賞。「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの和菓子屋女将・みのり役、朝ドラ「さくら」(2002年)沼田みどり役などで知られる。実妹は松田優作の妻・松田美由紀であり、俳優の松田龍平、翔太らは甥っ子にあたる。

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

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長谷川町子の姉・毬子とは

ヒロインのモデルとなっている長谷川毬子は、1917年(大正6年)に佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市)に生まれています。

長谷川家四姉妹(上から毬子、美恵子、町子、洋子。次女の美恵子は5歳で夭折)の長女で、佐賀から福岡市に移ると筑紫女学園を卒業。1934年(昭和9年)に父を亡くすと、一家で東京へと移住しています。

毬子は東京で洋画家の藤島武二に弟子入りして川端画塾(川端画学校)に通うと、一家の家計を支えるために自らの挿絵を出版社に持ち込み、それが作家・菊池寛の目に留まることになります。

これが縁となり、毬子は講談社の雑誌「婦人倶楽部」内の小説の挿絵を担当し、売れっ子挿絵画家になっていきます。また、末妹の洋子も後に菊池寛に弟子入り。大学を中退し、菊池寛が経営していた文藝春秋社へと入社しています。

町子が漫画家デビュー、毬子の夫は戦死

山脇高等女学校(現・山脇学園高等学校)在学中だった妹の町子が、「のらくろ」で知られる漫画家・田河水泡の弟子になりたいと言い出したことから、毬子と母は奔走。その甲斐あって、町子は田河水泡に師事することになります。町子はわずか15歳でデビューを果たし、天才少女漫画家として名を馳せていくことになります。

戦時中、長谷川一家は福岡市に疎開。毬子は縁あって朝日新聞記者の東学(あずま・まなぶ)という男性と結婚をしますが、新婚生活わずか一週間で東は召集され、結局インパール作戦に参加して戦死をしてしまいます。以降、毬子は生涯独身を貫いています。

町子が「サザエさん」連載開始 「姉妹社」創業

疎開中、妹の町子は西日本新聞社・絵画部の校閲係として勤務。この時期の町子は、漫画家としての活動は実質的に休止。屋外でスケッチをしていて憲兵に逮捕されたり、福岡大空襲に遭遇したりと様々な戦争体験をしています。

戦後の1946年(昭和21年)。町子は、創刊となった「夕刊フクニチ」(西日本新聞の僚紙)で連載漫画「サザエさん」をスタートさせています。この時期、一家は再び上京すると、福岡の家を売ったお金で三姉妹による出版社「姉妹出版」(後に姉妹社に変更)を創業。毬子は画家としての仕事を辞め、「サザエさん」単行本の出版、売り込みなど実業の世界へと力を注いでいきます。

町子が代表者を務め、毬子と洋子が営業を担当した姉妹社。当初は大量返品、大手取次業者からの出入り禁止など辛酸をなめることになりますが、三姉妹の協力により、やがて「サザエさん」を国民的漫画へと押し上げていきます。

1985年(昭和60年)には長谷川美術館(後に長谷川町子美術館に改称)がオープン。1992年(平成4年)に町子が亡くなると、姉の毬子が同館の館長に就任。毬子は2012年(平成24年)に満94歳で亡くなっています。

末っ子の洋子は晩年に毬子と絶縁状態になってしまったそうですが、姉妹の中で唯一子供(二人の女子)を残し、2021年現在もご存命のようです。

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