【マッサン】余市に空襲 死者数、被害状況は?余市工場が爆撃されなかった理由

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NHK連続テレビ小説「マッサン」第23週(3月9日~)より。

時代は昭和20年7月に進み、日本の戦局はますます悪化、北海道・余市にもついに米軍の爆撃機がやってきます。この記事では、余市市街ならびにニッカウヰスキーの空襲被害、それにドラマ内での空襲の描写についてまとめます。

まずはドラマ「マッサン」内における余市の空襲描写について。

家族、工員、原酒…空襲から守りたいモノ

昭和20年(1945年)7月。いよいよ北海道にも空襲が行われる可能性があるという情報を海軍から得たマッサンは、工場や工員、家族を守るために備えをはじめます。

マッサンはウイスキー工場の命とも言えるウイスキー原酒の貯蔵場所を数カ所に分散させ、例え工場が爆撃されても原酒が全滅しないように、リスク管理を徹底します。

余市空襲 ドウカウヰスキーが避けられた理由

そして迎えた7月15日。米軍の爆撃機が余市上空にやってきます。マッサン家族らは防空壕として設えていた乾燥棟に逃げ込み、襲撃が過ぎ去るのを待ちます。

結局、唯一となったこの余市の空襲で標的となったのは、当時東洋一とも謳われた水産試験場周辺のみ。ドウカウヰスキーは空爆の対象とはなりませんでした。

実は戦後にわかることですが、爆撃機・B29はドウカウヰスキーの敷地上空にもやってきていました。しかし米軍はここでウイスキーを製造しているを知ると、終戦後にウイスキーが調達できることを見越して爆撃を行わなかったのです。こうした米軍の汚いやり方に、マッサンは激しい怒りを持つことになります。

史実の余市空襲・死者数は?狙われた水産試験場

史実でも昭和20年7月15日に、余市において一度限りの空襲が行われています。この時攻撃対象になったと思われるのが、東洋一の研究施設と言われた余市の水産試験場。実際には爆弾はそこから50mほど逸れたため、大きな被害は出なかったとされます。竹鶴政孝が経営していた「ニッカウヰスキー余市工場」も攻撃対象とはならず、貯えられていた原酒たちも被害を免れました。

資料「北海道空襲」によれば、空襲による余市の犠牲者は0人(船員4人が亡くなったという説も)。全道では空襲により1900人余り、余市に近い積丹半島では古平町で21人、積丹町で13人の犠牲者が出たという記録が残っています。

竹鶴政孝の豪快エピソード

「ヒゲのウヰスキー誕生す」(新潮文庫)には、この余市空襲に関して、竹鶴政孝らしい豪快さを感じる発言が記されています。

それによれば、米軍は始めからニッカの工場をウイスキー製造工場だと知って爆撃を避けた(さらには米軍は竹鶴リタが居たから爆撃を避けたという説も)らしいと知った戦後の竹鶴は、それならば最初から慌てて防空壕などに入らずに、ゆっくり空襲を見物すればよかった、と高笑いしたとのこと。

ドラマ「マッサン」で描かれる正義感が強いマッサンとは違い、創業者らしく豪快な人物である竹鶴の人柄が伝わってくるエピソードと言えます。

コツコツと貯えられていた原酒が空襲の被害を逃れたことで、ニッカウヰスキーは大きな「財産」を手にした状態で、戦後の経営を推し進めていくことになります。

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