ニッカウヰスキー後継者、歴代社長は?マッサンの子孫が受け継ぐ?

※本ページのリンクには広告が含まれています。

NHK連続テレビ小説「マッサン」に関連して、ドラマで登場した「ドウカウヰスキー」ならびにモデルとなった企業「ニッカウヰスキー」の創業者、後継者をまとめます。

スポンサーリンク

目次

ドウカウヰスキー歴代社長

・創業者 亀山政春(玉山鉄二)
・二代目(予定) 亀山悟(泉澤祐希)

創業者である亀山政春=マッサンが長年代表を務めてきた「ドウカウヰスキー」ですが、マッサンの姉・岡崎千加子(西田尚美)の次男でマッサン夫婦の養子に入っている亀山悟が後継者候補として修行中です。

悟は終戦後、シベリアでの抑留を経て帰国した後にドウカの仕事を手伝うようになります。北海道大学で醸造学を学んだ後に、本格的にマッサンの後継者の道を歩み始めています。悟はもともと広島・亀山酒造の後継者と目されていただけに、酒類に対する嗅覚、味覚は確かなものがあると思われます。

ニッカウヰスキー歴代社長

・創業者 竹鶴政孝
・二代目 竹鶴威(たけし)
・三代目 山下弘
・四代目 中川圭一

一方、史実の会社・ニッカウヰスキーは創業者の竹鶴政孝氏が1934年に創業、1943年に社長の座に就いています。竹鶴氏と妻・リタ氏との間に子供が生まれなかったため、竹鶴氏の実姉・宮野延代氏の4男・威氏を養子に迎え入れ、自身の後継者としています。

威氏は後にニッカウヰスキーの社長、会長を務め、同社の二代目マスターブレンダーとしても活躍します。威氏は妻・歌子氏との間に二人の子供(長男・孝太郎氏、長女・みのぶ氏)をもうけました。孝太郎氏はニッカで商品開発などを手がけていた時期もありますが、後にブランディングコンサルタント、デザイナーとして活躍しており、ニッカの三代目社長にはなっていません。

ニッカウヰスキーの三代目、四代目社長は竹鶴家からではなく外部からの人材である山下弘氏、中川圭一氏(現職)が務めています。山下氏は北大農学部、中川氏は東大農学部を卒業しニッカに入社した「叩き上げ」の人物のようです。

ニッカウヰスキー・歴代マスターブレンダー

ついでに、「ニッカウヰスキー」ブランドの味や品質管理などの全てを担う、歴代の「マスターブレンダー」も記しておきます。

・初代 竹鶴政孝
・二代目 竹鶴威(たけし)
・三代目 佐藤茂生
・四代目 山下弘

こちらも竹鶴家の子孫が担ったのは二代目まで。三代目・佐藤茂生氏は京大農学部からニッカに入社。四代目・山下弘氏は前述のように三代目社長も務めています。

※マスターブレンダーとは

多くのウイスキーは一種類の原酒だけで出来ているわけではなく、複数の原酒を混合させることで深みのある味と薫りが導き出されています(ブレンデッド)。マスターブレンダーは、そんなウイスキーの命とも言えるウイスキーブレンド作業の責任者であり、他にも既存の製品の品質維持も担うなど、ブランドを築き上げていく上で大変に重要な役割を担っています。

関連記事
マッサンのその後〜妻の死後、竹鶴政孝の辿った人生とは

スポンサーリンク

スポンサーリンク

シェアお願いします
URLをコピーする
URLをコピーしました!
目次
閉じる