NHK連続テレビ小説「マッサン」は、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝とリタ夫妻(ドラマでは亀山政春とエリー)をモデルにした物語です。脚本家の羽原大介は、記録や取材に基づきつつも、あくまでフィクションの物語であると言及しています。
第一週放送を見た限り、さっそく史実と異なる部分が見られましたので、簡単にまとめてみたいと思います。
※この記事の史実部分は、「ヒゲのウヰスキー誕生す」(新潮文庫)を参考にして書いています。
兄弟構成が違う
ドラマの亀山政春は姉(西田尚美)、兄(ゴム栽培で南洋へ)、妹(早見あかり)との四人兄弟ですが、史実の竹鶴政孝は四男五女の九人兄弟、三男として生まれています。
▼詳しくは…
・マッサンモデル竹鶴政孝の生家・家族構成 ドラマとは兄弟人数などが少々違う
帰国時の状況が違う
ドラマでは、マッサンとエリーの二人は横浜港に帰国、その足で三原駅〜竹原に向かい、自宅前で妹のすみれ(早見あかり)、島爺(高橋元太郎)と再会しています。
史実では、摂津酒造の阿部社長(=住吉酒造の田中大作社長<西川きよし>のモデル)が欧州視察旅行に向かった際に現地で竹鶴とリタと落ち合い、三人で一緒に横浜港に帰国しています。横浜港には摂津酒造の東京出張所員、それに竹鶴の妹・沢能(=すみれ<早見あかり>のモデル)が出迎えに来ていました。
帰国後、竹鶴とリタは実家のある竹原ではなく、大阪の摂津酒造に向かったようです。
結婚反対の経緯が違う
ドラマではマッサンがスコットランドから亀山家に結婚報告の手紙を送り、これに対し母・早苗(泉ピン子)が猛反対の意志を示していました。マッサンはこれを黙殺し強行突破で帰国。実家訪問を決行し、帰宅後に母子のバトルが開始されました。
一方史実では、竹鶴はスコットランドから両親宛に結婚の許しを請う手紙を出し、これに対し一度は反対の意志を示す返事が到着したものの、竹鶴は再度リタが素晴らしい女性である旨、手紙を出しています。
その間、広島の竹鶴家では二度の家族会議が開かれ、最終的には長姉の夫(竹鶴の義兄)が言う「頭から毛嫌いするのはいかがなものか」「要は相手次第」という言葉に、母・チョウ(=早苗のモデル)が折れています。頑なに反対していた父・敬次郎(=政志<前田吟>のモデル)もチョウの考えに渋々と頷いたそうです(ただし、竹鶴をいったん除籍し、分家届けを出すという条件だった)。
竹鶴の帰国時には一応、「結婚承諾問題」は解決していたことになります。
母の性格が違う
ドラマでは泉ピン子演じる母・亀山早苗が嫁を執拗に追い込む口うるさい姑となり、エリーに対し理不尽な要求や泣き落としを繰り返していました。早苗は非情さを貫き、旧家・亀山家を守る「肝っ玉母ちゃん」という立場を貫いていました。
一方、史実の母・竹鶴チョウは竹原の名家の娘らしい物静かな趣味人でした。
リタとチョウとの初対面は帰国後しばらくしてからで、チョウのほうから大阪に訪ねています。この時リタは和服で正装をし、かしこまって玄関で姑を出迎えたのですが、その挨拶がおかしな日本語だったため一同は爆笑。あっという間に打ち解けたそうです。チョウとリタは竹鶴の通訳を介して、さらには身振り手振りと片言の日本語で会話をしています。
チョウは「よい嫁さんじゃのう。(略)まるで日本の女のようじゃ」と言って、晴れやかな表情で竹原に帰っていったそうです。
竹鶴政孝はあくまでモデル 今後も相違点は多そう
以上のように、一週目だけでも史実との相違点はさまざま有ります。ドラマはあくまで「半フィクション」のエンターテイメントとして楽しみ、竹鶴氏の本当の人間像に迫りたい場合は、書籍などを読んで補足したほうが良さそうです。