NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」は、「日本のウイスキーの父」とも呼ばれるニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝(劇中では「亀山政春」。玉山鉄二が演じる)と、その妻でスコットランド人のリタ(劇中では「エリー」。米国人女優・シャーロット・ケイト・フォックスが演じる)をモデルにした「夫婦の人情喜劇」です。
ニッカウヰスキーはドラマでは「ドウカ」(北海道果汁株式会社)として登場します。
北海道余市町の「余市蒸溜所」が注目される(はず)
「マッサン」はNHK大阪放送局の制作。商人の街・大阪と、竹鶴が本物のウイスキーを創り上げる為にやってきた北海道が舞台となります。
その北海道で、ドラマの進行とともに観光スポットとして注目されそうなのが、北海道余市郡余市町にある「余市蒸溜所」。 この「余市蒸溜所」は、日本で二つ目につくられた本格的なウイスキー蒸溜所で、竹鶴政孝がウイスキーづくりの夢を追って建設したものです。
ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝 スコットランドに留学
▲Photo by: MIKI Yoshihito
「マッサン」の亀山政春のモデル、竹鶴政孝は大阪高等工業学校(現・大阪大学)で醸造学を学びましたが、そこで洋酒にすっかり魅せられてしまいます。
そこで、家業である広島県竹原市の造り酒屋・竹鶴酒造は継がず、大阪の摂津酒造に入社。当時、国産ウイスキー実現の夢を持っていた摂津酒造は、竹鶴をスコッチ・ウィスキーの本場・スコットランドのグラスゴーに単身留学させ、本場のスコッチづくりを学ばせます(1918年)。
サントリー創業者・鳥井信治郎から口説かれる
帰国後、折りからの不況もあって摂津酒造にウイスキーづくりの夢を追いかける資金的体力は残っていませんでしたが、同じようにウイスキーづくりの夢を抱いていた「寿屋」(サントリーの前身)の鳥井信治郎からオファー(現在の価値で数千万円の年俸を提示された)を受けます。
竹鶴は日本初の本格的なウイスキー蒸溜所「山崎蒸溜所」(1924年完成、大阪府三島郡島本町山崎)でのウイスキーづくりの基礎に大きく関わる事になります。
しかし、やがて日本の高温多湿な気候風土に合った熟成法を主張する鳥井と、あくまでスコットランドと同じく8年寝かせるべきだと主張する竹鶴は決別することになります。
「スコットランド」を追い求め北海道余市へ
山崎蒸溜所を退所した竹鶴がスコットランドに近い気候風土を追い求めてやってきたのが、北海道・余市の地でした。
ここで竹鶴は大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を設立します(1934年)。
余市はスコットランドと似た北の大地。余市川の豊富な水があること、湿地であるために土地も安くピート(泥炭。麦芽を乾燥させる燃料)がとれること、現地ではニシン漁が廃れていたため安い労働力も確保できることなど、ウイスキーづくりの夢を追い求めるには最適の地であると竹鶴は考えたのです。
▼ニッカウヰスキー北海道工場・余市蒸溜所は余市駅の目の前(駅の左、グレーの一帯が敷地)。豊富な水源、程よい湿度など、ウイスキーづくりの好条件が揃う。
現在の余市蒸溜所 見学ができます
余市蒸溜所では現在も創業時の情熱が受け継がれ、現役のニッカウヰスキーの蒸溜所として、モルト原酒がつくられています。歳月を重ねた現在も、本場・スコットランドでも珍しくなったという石炭火力により、余市蒸溜所のポットスチルは稼働しています。
工場内は無料で見学ができ、製造工程やニッカウヰスキーの歴史などを学ぶ事ができます。
余市は札幌からJR、あるいは車で1時間ちょっとで行けるので、北海道旅行の際は是非余市蒸溜所に立ち寄ることをおススメします。
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