NHK連続テレビ小説「虎に翼」第6週では、寅子たち女子部の面々が高等試験 司法科試験(現在の司法試験)に挑戦。明律出身の久保田先輩(小林涼子)が女性として初めて論述試験(筆記試験)を突破しています。
このエピソードは、1937年に中田正子が日本で始めて女性として高等試験 司法科試験の論述試験を合格した史実がモチーフになっています。
【虎に翼】久保田先輩が女性史上初の論述試験突破
1937年(昭和12年)6月、寅子たち明律大学法学部の学生やOGたちは高等試験 司法科試験を受験。一次試験にあたる論述試験の結果は以下のようになっています。
★明律大学関係者・論述試験(一次試験)の合否★
【合格】久保田聡子(小林涼子)、花岡悟(岩田剛典)、稲垣雄二(松川尚瑠輝)
【不合格】猪爪寅子(伊藤沙莉)、山田よね(土居志央梨)、桜川涼子(桜井ユキ)、大庭梅子(平岩紙)、崔香淑(ハ・ヨンス)、中山千春(安藤輪子)、佐田優三(仲野太賀)
【学力不足で受験せず】小橋浩之(名村辰)ほか
論述試験に合格した久保田、花岡、稲垣は最終試験である口述試験へと駒を進めます。
女子部の出身者で唯一(女性として史上始めて)論述試験の突破を果たした久保田は、悲願の高等試験 司法科試験合格を目指して最終試験の口述試験に挑みますが、結果はあえなく不合格。自らの力不足を女子部の仲間たちに謝罪しています。
★明律大学関係者・口述試験(最終試験)の合否★
【合格】花岡悟(岩田剛典)、稲垣雄二(松川尚瑠輝)
【不合格】久保田聡子(小林涼子)
【史実】三淵嘉子の同期・中田正子が女性史上初の論述試験突破
このエピソードは、1937年(昭和12年)に明治大学法学部に在学中だった中田正子(当時は旧姓の田中正子)が女性として初めて高等試験 司法科試験の一次試験(論述試験)を突破した史実がモデルになっていると考えられます。
中田正子は東京府立第二高等女学校(現在の都立竹早高等学校)から女子経済専門学校に進学すると、そこで新渡戸稲造、吉野作造、我妻栄らに学び法律の道へ進むことを決意。日本大学法学部(選科生)、次いで明治大学専門部女子部の3年次に編入すると、1935年(昭和10年)には女子部で同期となった三淵嘉子(寅子のモデル)らとともに明治大学法学部へと進学しています。
高等試験 司法科試験に合格した中田正子は日本初の女性弁護士の一人となり、鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事を歴任するなど法曹界に名を残しています。
1933年(昭和8年)に弁護士法が改正され、その3年後の1936年(昭和11年)に女性でも高等試験 司法科試験の受験が可能になると、同年には17名の女性(男性を含む全受験者数は3,610名)が高等試験 司法科試験を受験しています。
この年の女性受験者は一次試験の論述試験で全員不合格となりましたが、翌年の1937年(昭和12年)には明治大学法学部に在学中だった中田正子が女性として初めて論述試験を突破。続く口述試験でも中田正子は手応えを感じていたそうですが、結果は残念ながら不合格になっています。
27歳になっていた中田正子は続く1938年(昭和13年)にも高等試験 司法科試験に挑戦すると、明治大学専門部女子部時代からの仲間である三淵嘉子、久米愛とともに論述試験、口述試験を突破。3人は女性として初めて高等試験 司法科試験の合格者となり、日本初の女性弁護士への道を歩み始めています。
一度に3人の女性合格者が出たことをマスコミは華々しく報じ、入学希望者が激減して存続の危機にあった明治大学専門部女子部にも翌年から多くの入学希望者が殺到するなど、3人の同時合格の話題はちょっとした社会現象になったようです。
「虎に翼」では、3人同時に女性合格者が輩出された史実のエピソードをモチーフに、寅子たちの高等試験へのチャレンジの様子が描かれていきます。
ドラマ上のキャラクター設定を見る限り、三淵嘉子=猪爪寅子、中田正子=久保田聡子、久米愛=山田よね(+中山先輩?)がそれぞれモデルになっているのではないかと予想します。
ただし、「虎に翼」における女性初の高等試験合格者は史実そのままというわけではなさそう。弁護士を目指していた久保田先輩が思いも寄らぬ人生を歩むなど、史実とは異なるオリジナルのストーリーが描かれていきそうです。