NHK連続テレビ小説「虎に翼」第10週では、寅子の父・直言の体調が急速に悪化。死が近いことを予感させる描写が続きます。
この記事では直言の体調悪化の原因や、モデルになっている武藤貞雄(三淵嘉子の父)の死因などをまとめます。
【虎に翼】心労が重なり一気に老け込む直言 咳き込みがちに
「虎に翼」第9週(5月27日〜)では、寅子(伊藤沙莉)の父・直言(岡部たかし)が急速に衰弱していく様子が描かれます。
終戦間際に長男・直道(上川周作)の戦死の報を受け、戦後には自身が営む工場「登戸火工」が廃業状態になり猪爪家が困窮状態に陥るなど、何かと心労が重なっていた直言。寅子や花江(森田望智)が疎開先から神奈川・登戸の自宅に帰ってきた頃にはすっかり直言は老け込んでしまい、咳き込むことが多くなっていました。
実は直言の心労の種はこれだけではありませんでした。直言はある重大な報せを寅子に隠しており、この件もまた、直言のストレスになっているようです。以下、第9週のネタバレを含みますのでご注意ください。
【虎に翼・ネタバレ】直言の死因、隠していたこととは?
事前公表のあらすじによれば、直言は「栄養失調と肺炎」により衰弱を見せており、医者の診断によればもう長くはないとのこと。
終戦から1年が経った1946年(昭和21年)の秋頃に、直言は栄養不足と肺炎により亡くなるものと思われます(5月31日・第44回放送あたりで亡くなりそう)。
※第9週の最終放送日(5月31日・金曜日)直後の「あさイチ」にはゲストとして直言を演じている岡部たかしが出演予定。プレミアムトークのコーナーで「虎に翼」についてたっぷり語ってくれるようです。
「あさイチ」のプレミアムトークでは、朝ドラの出番がその週で終わった俳優(または間もなく朝ドラから退場する俳優)が出演することも多く、通例にならえば、岡部たかしも第9週で出番が終了しそうです。
直言が亡くなる直前に、寅子は直言がひた隠しにしていた衝撃の事実を知ることになります。
ある日、寅子は直言が写真立ての裏に隠していた「優三の死亡報告書」を発見してしまいます。寅子に秘密がバレてしまった直言はみるみる衰弱し、そのまま寝込んでしまいます。
死の直前、直言は死亡報告書を隠していた理由を寅子に語ることになります。一家の家計が火の車の今、長子であり大黒柱である寅子がショックで倒れてしまっては大変…。そんな思いにより、直言は優三の死をひた隠しにしていたようです。
直言は寅子に対し後悔をすべて打ち明けて謝罪をすると、静かに息を引き取ることになります。
【史実モデル】武藤貞雄の死因は?
猪爪直言のモデルになっている三淵嘉子の父・武藤貞雄は、戦後の1947年(昭和22年)10月28日に肝硬変で亡くなっています。
東京帝大から台湾銀行に入行し海外勤務などを経験した後、紡績会社の重役などを経て神奈川の川崎・登戸で焼夷弾や発煙筒を作る工場を作った貞雄。
エリート街道を走り順調そのものだった貞雄の人生ですが、戦争の前後に愛する人を亡くし、晩年はやさぐれた生活により体調を崩してしまったようです。
貞雄は終戦間際に出征していた長男の一郎(嘉子の弟。「虎に翼」直道のモデル)が戦死したという報せを受けると、終戦後の1947年(昭和22年)1月には愛する妻・信子(「虎に翼」はるのモデル)を脳溢血により亡くしています。信子は終戦前後の心労が重なったのか、井戸端で洗濯をしている最中に倒れ、そのまま急死してしまったそうです。
最愛の妻と息子を相次いで亡くした貞雄の生活は乱れ、酒量が大幅に増えていったそうです。
やがて貞雄の顔はまん丸にむくみ、目が黄色くなってしまう黄疸の症状も発症。妻の信子が亡くなったわずか9ヶ月後、貞雄は肝硬変により亡くなっています。
戦中戦後に弟の一郎、夫の芳夫、母の信子、父の貞雄を相次いで亡くしてしまった三淵嘉子。その悲しみはとてつもなく大きなものでしたが、自らの幼子を抱え、まだ稼げない弟たちの面倒も見なくてはならないという「とと姉ちゃん」状態にあったため、嘉子は一家の大黒柱として仕事に復帰。奮闘していくことになります。
「虎に翼」では史実とは異なり、父の直道が肺炎で先に亡くなり、母のはるが残されることになります。その後、寅子が一家の大黒柱として奮闘していく姿は史実に沿ったものになりそうです。