「虎に翼」寅子が新潟に赴任 優未は一緒に連れて行く?史実では単身赴任生活

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」第15週では寅子が新潟への異動を命じられ、娘の優未を一緒に新潟に連れていくべきか、花江ら家族と意見がぶつかることになります。

この記事では今後の展開予想ともに、史実のモデル・三淵嘉子の新潟赴任についてドラマとの状況の違いなどをまとめます。

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目次

【虎に翼】突然の新潟赴任が決定 猪爪家の火種が表面化

1951年(昭和26年)。「家庭裁判所の母」などともてはやされるようになり、すっかり天狗になっていた寅子(伊藤沙莉)ですが、最高裁判所事務局の人事局長・桂場(松山ケンイチ)の決断により、急遽新潟地裁三条支部に異動するが決定します。

突然の新潟赴任が決まり、猪爪家(佐田家)ではくすぶっていた家族の不協和音が一気に表面化していきます。

戦後、一家の大黒柱となり仕事に邁進してきた寅子はいつしか家族を顧みなくなり、「私が稼いで家族を支えてあげている」という古臭い家父長的な空気感を家族に見せるようになっていました。

家事と子育ての一切を丸投げされている義姉の花江(森田望智)は寅子に不満を募らせていましたし、母親不在で寂しさを抱えていた娘の優未(竹澤咲子)は、いつしか完璧主義の母を恐れて寅子の前でいい子を演じるようになっていました。しかし、仕事にノリノリの寅子はそんな家族の心境の変化にまったく気がついていません。

新潟赴任が決定すると、寅子は当然のこととして娘の優未を新潟に連れて行くと花江に告げますが、これに花江と直明(三山凌輝)は猛反対。家事をこなすことの大変さや優未の寂しさ辛さを何一つわかっていない寅子に対し、花江が激怒することになります。

【虎に翼】結局優未を連れて新潟へ?

今後のあらすじを読む限り、寅子は花江の激怒をキッカケにこれまでの家族との向き合い方を反省し、新潟に一人で行くべきか大いに悩むことになりそうです。

翌第16週・7月15日(月)、7月17日(水)のあらすじは以下のように書かれており、最終的に寅子は優未を新潟に連れて行くのではないかと予想します。

7月15日(月)のあらすじ

桂場(松山ケンイチ)や多岐川(滝藤賢一)らに送り出され、新潟地家裁三条支部に赴任した寅子(伊藤沙莉)は支部の職員たち、地元の弁護士・杉田太郎(高橋克実)らから大歓迎を受ける。困惑しながらも、新しい職場に一日でも早くなじもうと努力する寅子。一方で、娘・優未(竹澤咲子)との距離は縮まらない。

NHK番組表 7月15日分のあらすじを引用

7月17日(水)のあらすじ

山の境界線をめぐる現地調停で書記官の高瀬(望月歩)と申立人の森口(俵木藤汰)との間にトラブルが発生。寅子(伊藤沙莉)も巻き込まれてしまう。しかし高瀬は森口との言い合いの内容を決して明かさない。家に帰った寅子は優未(竹澤咲子)がテストの点数をごまかそうとしている場面に出くわす。テストになると緊張してしまうと話す優未。寅子は亡き夫・優三(仲野太賀)のことを思い出していた。

NHK番組表 7月17日分のあらすじを引用

新潟に赴任した寅子は花江に手紙で「仕事も家事も完璧にこなす」と宣言しますが、花江はこれに対し「寅子にしかできないことを」と返信。

この花江の言葉の意味を寅子がどこまで理解できるのかはわかりませんが、初めての母子二人暮らしの中で、寅子・優未の親子関係に変化が見られるかも知れません。

新潟・三条編では地元の弁護士・杉田太郎役で高橋克実が登場するほか、望月歩、田口浩正ら名脇役たちも出演する見込み。また、花江の実家である米谷家で女中をしていた稲(田中真弓)が第7週で新潟に帰郷しており(1940年・昭和15年)、稲が寅子と優未の手助けをする展開が見られるかも知れません。

【史実】1972年、再婚後に新潟赴任 家庭裁判所長に

寅子が新潟に赴任するというエピソードは、寅子のモデル・三淵嘉子(みぶち・よしこ)が新潟に赴任し、女性として初めて新潟家庭裁判所長に就任した史実がモチーフになっています。ただし、時系列や状況などはドラマとだいぶ異なります。

最初の夫・和田芳夫との死別から10年が経ち、裁判官仲間であった三淵乾太郎(初代最高裁長官・三淵忠彦の息子。前妻との間に4人の連れ子)と再婚した三淵嘉子は、1972年(昭和47年)に新潟市の新潟家庭裁判所に赴任しています。嘉子はこの新潟で、女性として日本初となる家庭裁判所長に就任しています。※「虎に翼」の寅子は1951年(昭和26年)に新潟に赴任していますので、史実とは21年の時間差があります。

この時、嘉子は家族を東京においたまま新潟に単身赴任をしており、ずっと家族と暮らしていた嘉子は初めての一人暮らしを経験しています。

なお、東京においてきた嘉子の長男の芳武は1943年(昭和18年)生まれであり、新潟赴任当時はすでに29歳前後。「虎に翼」で描かれたような「シングルマザーが幼子を新潟に連れて行くのか問題」は発生していません。

嘉子は新潟に着任すると精力的に動き回り、県や市町村主催の講演会、地元の学校や婦人会の会合などで多数の講演を実施。地元のテレビ番組にも出演するなど、社会に深く関わり合っていく家庭裁判所長として八面六臂の活躍を見せたそうです。

結局嘉子の新潟での生活は1年半あまりで終わり、埼玉県の浦和家庭裁判所長に任命されると家族が暮らす関東へと戻っています。

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