NHK連続テレビ小説「虎に翼」で人気キャラクターとなりつつある明律大学の男子学生・轟太一。
4月25日(木)放送の第19回では、轟太一が「漢(おとこ)」と「男(おとこ)」の概念を使い分けて話している可能性が字幕から判明していますので、その内容を読み解いてみます。
轟「あの人たちは漢(おとこ)だ。」
ハイキング中に寅子(伊藤沙莉)と言い争いになった末に崖下に転落し、捻挫や骨折などの怪我を負って入院していた花岡悟(岩田剛典)。
第19回放送では、寅子に対する怒りから「もう下手に出るのはやめだ」「猪爪寅子を訴えて痛い目にあわせた方が…」と病室で息巻く花岡を、郷友である轟太一(戸塚純貴)が「愚か者!!」とビンタで一喝する場面が描かれています。
東京という大都会で去勢を張り続ける花岡を見かねたのか、轟はここ最近自身が感じていた心境の変化を以下のように花岡に打ち明けています。このシーンのセリフを字幕通りに書き出してみます。
轟「花岡。俺はな…いや、自分でも信じられないが、あの人たち(女子部の人たち)のことが好きになってしまった。」
轟「あの人たちは漢(おとこ)だ。」
花岡「はっ?」
轟「俺が漢(おとこ)の美徳と思っていた強さ優しさをあの人たちは持っている。俺が漢(おとこ)らしさと思っていたものは、そもそも漢(おとこ)とは無縁のものだったのかもしれんな。」
花岡「何の話だよ。」
轟「つまり俺が言いたいのは!上京してからのお前、日に日に男(おとこ)っぷりが下がっていくばかりだ。俺は非常に悲しい!」
この轟の言葉を受けた花岡は我に返り、ひどい言葉を投げつけてしまった梅子(平岩紙)に謝罪をすることになります。轟の実直さや素直さが現れた良いセリフでしたね。
そしてこのシーンで気になったのが、轟が「漢(おとこ)」と「男(おとこ)」の概念を無意識に使い分けている可能性があることです。
「漢」と「男」の使い分け?
参考までに、これまでの轟のセリフを以下に引用してみます。
過去の字幕を見返した限り、轟は生物学的・社会的な文脈で他動的に背負わされた「おとこ」の概念を「男」、自発的に湧き出る目指すべき理想の人間像「おとこ」の概念には「漢」という言葉を用いているようにも感じます。
第16回(4月22日放送)より引用。初登校してきた女子生徒たちに甘い言葉をかける花岡を制止した、轟太一の初登場シーン。
轟「笑止!男(おとこ)と女が分かり合えるはずがないだろう。人類の歴史を見れば分かる。男(おとこ)が前に立ち国を築き、女は家庭を守る。」
第16回(4月22日放送)より引用。教室で花岡が男女揃ってのハイキングを提案するも、山田よねが「くだらない」と拒否したシーン。
轟「無理するな。女は男(おとこ)と違って体力がないからな。」
第17回(4月23日放送)より引用。ハイキングの待ち合わせで花岡たちが女を卑下するような会話をしていたシーン。
花岡「女ってのは優しくするとつけあがるんだ。立場をわきまえさせないと。」
(そこに遅れてやって来た轟が花岡の発言に激怒)
轟「それはいただけないな!花岡!誠意がない態度はいただけない。男(おとこ)として恥じぬ行動をすべきだ!」
第18回(4月24日放送)より引用。ハイキングで張り切って玉や光三郎の荷物を持つ轟。
轟「男(おとこ)の役目を果たすまで!ハハハ!」
よね「それ男も女も関係ないだろ。」
少し使い分けが曖昧な気もしますが、第19回放送の言葉遣いからも、轟が「漢(おとこ)」という言葉を「目指すべき人間の理想像(=強さ、優しさ)」という意味で使っていることは間違いなさそうです。
第19回放送で轟が女子部のメンバーを「あの人たちは漢(おとこ)だ。」と発言したのも、女子部のメンバーを性別を超えた一人の善き人間として認めたからこそでしょう。
ずっと男子社会の中で(女子を知らず)生きてきたであろう轟は、自分が追い求める理想像「漢(おとこ)」はイコールで「男(おとこ)」のみがたどり着けるものだと思っていたはず。この概念が、女子部の人たちとの出会いによりアップデートされたようです。
こうなってくると楽しみなのが、「犬猿の仲」として張り合っている山田よねと轟太一の関係性です。
もともと似た部分を持っていた二人(=ともに弱者に優しくありたいタイプ)ですが、性別という枠組みが消え去った先に、厚い友情を見出す展開があるかも知れません。