【とと姉ちゃん】東京・深川ってどんなところ?江戸時代からの「木場」の歴史

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NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、第3週目・2016年4月19日(火)放送から舞台を東京・深川に移し、新たな物語が展開されます。

この記事では、ドラマの舞台となる東京深川、木場あたりについてまとめます。

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目次

材木の町 東京・深川

第3週放送時点の時代設定は、昭和10年あたり。東京の東部、下町の低地に位置する深川一帯は関東大震災(大正12年)において甚大な被害を被りましたが、それから10数年が経ち、町もすっかり活気を取り戻しているようです。

ヒロインの母方の実家である深川の材木問屋「青柳商店」、それに近所の仕出し屋「森田屋」が、ドラマ第三週目からの主要な舞台となります。深川といえば現在も近隣に「江東区木場」という地名が残っている通り、かつては水路が巡る「木場(貯木場)」として栄え、多くの材木商が集まる地域でした。

▲深川といえば、「深川めし(深川丼、アサリ飯)」。アサリなどの貝類やネギなどを煮込んだものをご飯にぶっかける、または炊き込んだもの。せっかちな江戸っ子らしい、シンプルな料理。写真は門前仲町駅すぐにある「門前茶屋」の「深川あさり蒸籠飯」。
Photo by: Keisuke Mutoh :

深川木場の歴史


▲歌川広重「名所江戸百景」にも描かれた深川木場。画像はWikipediaより転載。パブリックドメイン。

江戸幕府が開かれると、江戸の町は急ピッチで造営されていきます。街の建設には当然、建築資材となる木材が大量に必要となるわけで、必然的に多くの材木商が町に店を構えていくことになります。

当初、多くの材木商は水運が便利な日本橋材木町近辺に店を構えていたようですが、町なかに材木が多量に存在すると大火の際に延焼の原因となることなどから、幕府主導で隅田川対岸の永代島に(元木場)、後に深川に材木置き場がつくられ、これが「木場」と称されるようになっていきます。

大火を繰り返した江戸の町において、材木商は羽振りも良く花形の商売でした。江戸では大火のたびに紀州など地方から大量の木材が木場を目指して運び込まれ、深川一帯も賑わいを見せていたようです。

「とと姉ちゃん」に登場する「青柳商店」も200年の歴史を持つ材木問屋とのことで、江戸の町の歴史とともに生きてきた店といえそうです。

深川木場はその後、昭和44年(1969年)に貯木場としての役割を「新木場(江東区新木場)」に譲っています。広大な跡地は埋め立てられ、木場公園が造成されています。

▲現在の「木場公園」一帯とその西側、水路が残存するあたりがかつて貯木場のがあった所。

深川、木場、門前仲町一帯は、現在も細かい水路が残り、「水の都・江戸」の名残を感じることが出来る地域です。

周囲には富岡八幡宮、深川不動尊、それに、かつての木場を埋め立てて造られた木場公園、東京都現代美術館などがあり、「深川めし」を提供する店が点在するなど、江戸情緒を感じる散歩にはもってこい。少し足を伸ばして清澄白河駅方面に向かえば深川江戸資料館、清澄庭園もあり、一日かけて楽しく歩ける地域です。

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