NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」でヒロイン・常子らが立ち上げることになる雑誌「あなたの暮し」。
そのモデルになっている雑誌「暮しの手帖」の概要などをまとめます。
出版での起業を決意、花森安治と出会う
「とと姉ちゃん」ヒロイン・小橋常子(高畑充希)のモデルである大橋鎭子は終戦後、家族を支えるために自ら仕事を立ち上げることを決意。
当時勤めていた「日本読書新聞」に出入りする花森安治(後に名物編集長。ドラマでは花山伊佐次として登場)と出会うと、二人の妹、晴子、芳子らも巻き込んで銀座に「衣裳研究所」という出版社を立ち上げます。
「暮しの手帖」創刊
衣裳研究所は前身の「スタイルブック」を創刊(昭和21年)した後、昭和23年に「暮しの手帖」を創刊させています。※創刊号タイトルは「美しい暮しの手帖」。
「暮しの手帖」は「毎日の暮らしに役に立ち、暮しが明るく、楽しくなるものを、ていねいに」という考えのもと、衣食住の知恵、それに随筆が散りばめられた実用的な生活情報誌として創刊されました。
川端康成、幸田文、三島由紀夫、志賀直哉 豪華な面々
同誌は創刊後、早い時期から川端康成、東久邇成子(照宮成子内親王。昭和天皇第一皇女・照宮)といった著名人が原稿を寄せたほか、画伯・安井曾太郎、財界の巨頭・池田成彬、作家・幸田文、三島由紀夫、志賀直哉など、錚々たる面々が「日々の暮し」「衣食住」などをテーマとした原稿を寄せています。
こうした大物たちが「暮しの手帖」に原稿を書いた背景には、「暮しの手帖ならば」という雑誌自体の信頼感があったと同時に、原稿依頼に飛び回った大橋鎭子、芳子姉妹の人柄の良さもあったようです。鎭子は自著『「暮しの手帖」とわたし』の中で川端康成、志賀直哉から可愛がってもらったこと、東久邇成子一家と打ち解けた様子などを綴っています。
▲大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』。柔らかく優しい文体で、自身の生い立ちや「暮しの手帖」を育て上げた日々を綴っています。会社立ち上げ、自ら書店に売り込んだ日々、商品テストに没頭した様子などが生き生きと語られ、読んでいると自分も何かをしたくなる、素敵な本です。
名物企画「商品テスト」
「暮しの手帖」の名をさらに高めたのが、昭和29年(第26号)から始まり、同誌の名物企画となった「商品テスト」(日用品のテスト報告)です。
「商品テスト」は靴下、マッチ、鉛筆からアイロン、電球、洗濯機、石油ストーブに至るまで、当時の人々が暮らしの向上のために欲しいと思っていた製品を編集部で徹底的に使い込み、その成果を詳細にわかりやすくレポートするものでした。
広告を載せない 花森安治の考え
名物編集長・花森安治は、「暮しの手帖」の誌面に外部広告を一切載せないという主義を貫きました。これは、編集者として全ページを手の中に握っておきたいという気持ちと、広告を載せることでスポンサーから圧力がかかることを嫌ったからだとされます。
名物となった「商品テスト」に対しても、「広告を入れたい」という企業からの問い合わせが多かったそうですが、「商品テスト」はヒモ付きであってはならない、商品テストを「商品」にするような雑誌にしてはいけないという花森の思いは揺るぎないものでした。
花森安治は1978年に、大橋鎭子は2013年に亡くなっています。2007年からは文筆家・書籍商として知られる松浦弥太郎氏が「暮しの手帖」編集長として迎えられ、(「商品テスト」のページは中止されたものの)現在も雑誌は継続的に発刊されています(隔月刊)。
▼花森安治の絵は、「暮しの手帖」にとってなくてはならないものでした。
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