NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の舞台となっている東京・深川は、終戦間際の昭和20年(1945年)に米軍による大空襲を受け、壊滅的な被害を受けた地域です。
この記事では、深川を含む東京下町の空襲被害を簡単にまとめるとともに、「とと姉ちゃん」に登場している深川の人々の安否予想をしてみます。
東京東部・下町に甚大な被害
昭和19年の11月頃から激化した「B29」による東京への空襲は、終戦当日(昭和20年8月15日・青梅)まで実に120回余も繰り返されたとされ、東京市街地区の六割が焼失する甚大な被害を受けました。
特に東京の「下町」と呼ばれる現在の墨田区(当時の本所区、向島区)、江東区(当時の深川区、城東区)、台東区(当時の浅草区、下谷区)一帯は苛烈な爆撃を受け、江東区では39,752人、墨田区では27,436人、台東区では11,894人の死者を出しています。(東京区部全域の死者数は95,374人。以上の数字はいずれも経済安定本部『太平洋戦争による我国の被害総合報告書』によるものですが、混乱していた当時の状況もあり、死者数の統計には諸説あります。)
3月10日の「下町大空襲」
大半の市街地が焼き尽くされた下町地域の中でも、深川は向島、本所地区と並び特に大きな被害を受けた場所です。
最大の爆撃となった昭和20年3月10日の「下町大空襲」(死者88,793人。推定10万人との説も)では、深川の空は真夜中にも関わらず真っ赤に燃えあがり、街は火の海となって焼き尽くされ、苦しみのうちに多くの人々が亡くなりました。
深川の悲しい未来 馴染みの人々はどうなる…?
「とと姉ちゃん」第11週(昭和15年)現在、深川の町には戦争の足音は聞こえるものの、まだまだ表面上は平和です。しかしこのわずか4年後、町は幾度にも渡る空襲にさらされ、市井の人々の生活はことごとく消え去る運命にあります。
そこで気になるのが、「とと姉ちゃん」に登場している深川の人々の安否。どうやら戦火が及ぶ前の第11、12週放送あたりから、馴染みの人々が次々に深川を去っていく展開になりそうです。
「森田屋」「青柳商店」「小橋家」いずれも深川を去る
まずは、仕出し屋「森田屋」。愛娘・富江(川栄李奈)の妊娠が発覚したこと、それに食材調達の利便性を考え、一家は軍需に沸く高崎への移住を決意します。
続いて材木問屋「青柳商店」。こちらは滝子(大地真央)の体調悪化(死期が近いらしい)、それに戦争の影響を受けて店を畳むことになります。滝子は清(大野拓朗)を伴い療養のために木曽へと向かい、番頭・隈井(片岡鶴太郎)は息子夫婦のもとに身を寄せることが決まります。
残された小橋家はといえば、目黒の地に借家が手配され、一家でそちらに移り住むことになります。
それぞれが移り住む高崎、木曽、目黒は深川に比べると空襲の被害は軽かったとされ、恐らく深川の主要メンバーが空襲で亡くなることはないのではないかと推測します(とはいえ、現在のところ詳細は不明)。
なお、小橋家モデルの大橋家(大橋鎭子一家)は大空襲当時、東京南部の大井町に住んでおり(そもそも一家が深川に住んでいたという史実はありません)、延焼防止のために住んでいた家が取り壊されるといったトラブルはありましたが、直接的な空襲の被害は受けなかったそうです。
▼一度は訪れておきたい「東京都慰霊堂」(東京都墨田区横網)。関東大震災、東京大空襲における身元不明の遺骨が納められた慰霊施設です。本堂は「築地本願寺」などで知られる建築家・伊東忠太の設計。