「ごちそうさん」の時代は銘々膳が一般的?銘々膳→ちゃぶ台→テーブルへと変わる日本の食卓

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10月9日放送分のNHK朝ドラ「ごちそうさん」。主人公のめ以子(杏)が初対面でどうにも気に食わなかった大阪出身の帝大生・西門悠太郎(東出昌大)が、偶然にも卯野家で下宿することになります。そしてめ以子は案の定プンプン激おこ、という少女漫画も真っ青の、王道中の王道の展開へ(笑)。

江戸東京たてもの園
▲参考画像:味わい深いちゃぶ台のある空間。江戸東京たてもの園(小金井公園内)の建築より
Photo by: nakimusi

め以子は母からの言いつけにより悠太郎に家の中の案内をするのですが、この場面で興味深かったのが「食卓」に関する二人のやり取りでした。帝大で建築を学ぶ悠太郎は、卯野家の住居を興味深そうに見て回ります。

そして、大きな四角いちゃぶ台(卓袱台)が置かれた板の間で悠太郎が一言、「銘々膳(めいめいぜん)やないんですか。」と不思議そうに言います。め以子は「ああ、うち、忙しいんで、手間になるって言うんで祖母がみんなでウワッと食べるようにしたんです。」悠太郎が「へえ、楽しそうですねえ」と嬉しそうに言うと、め以子は首を傾げ、「そうですかねえ…」と呟きます。

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目次

銘々膳→ちゃぶ台→テーブルという変遷

「銘々膳」というのは現在でも旅館に泊まった時や宴会などに出てきますが、一人一人に小さな机が用意され、そこに料理が乗せられるアレです。日本では古代から明治期まで、この「銘々膳」が基本的な食事スタイルでした。武家が幅を利かせていた社会などでは階級がはっきりしていたため、同一の食卓を囲むのではなく、個別の膳を並べたほうが都合が良かった、ということも関係しているようです。

さて、今では「三丁目の夕日」的ノスタルジーの象徴とも言える「ちゃぶ台」。こちらは1887年(明治20年)頃に登場し、1920年代後半(大正末期)から、銘々膳に代わり全国的に普及したと言われています。食卓の近代化に伴い、折りたたみが出来て便利なちゃぶ台は当時の人々に歓迎されたのです。その後、「三丁目の夕日」の時代を経て、1960年代(昭和30年代後半)からは団地スタイルの登場などもあり、「テーブルとイス」という洋風スタイルが一気に広まっていくことになります。

「ごちそうさん」の時代は食卓スタイル変貌の過渡期

第二週時点での「ごちそうさん」の世界は1922年(大正11年)頃ですから、まさにちゃぶ台の全国的普及前夜といった感じでしょうか。ちゃぶ台は関東から全国に広まったそうで、大阪出身の悠太郎がちゃぶ台を不思議がるのも、今後め以子との間で発生する東西文化の齟齬への伏線かも知れません。

そう考えると、父・大五(原田泰造)が経営する「開明軒」の「テーブル」も、当時としてはハイカラだったんでしょうね。こうして当時の文化的小ネタをチェックするのも、このドラマの楽しみとなりそうです。

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