【真田丸】「犬伏の別れ」の地は栃木県佐野市犬伏新町の「新町薬師堂」

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NHK大河ドラマ「真田丸」のストーリー上で重要な場面となる「犬伏の別れ」についてまとめます。あわせて、「犬伏の別れ」の舞台となった実在の場所についてもまとめます。

「犬伏の別れ」とは、関ヶ原の戦いを目前にして行なわれた真田父子の ”決別” のことです。真田家の長男・信幸(大泉洋)が徳川側に、父・昌幸(草刈正雄)と次男・信繁(堺雅人)が豊臣側につくことが親子三人の密談で取り決められ、父子は東軍、西軍に分かれて関ヶ原の戦いに挑むことになります。

佐野市犬伏新町の「新町薬師堂」が密談現場

その父子の密談の舞台となったとされるのが、栃木県佐野市犬伏新町にある「新町薬師堂」です。「新町薬師堂」には犬伏新町町会によって立てられた「真田父子 犬伏の別れの地」の説明看板があります。以下、看板の説明文を引用します。

慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸、信繁父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。この書状を受けて父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。

その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。


▲日光例幣使街道(中山道・倉賀野宿から犬伏を通り、今市・会津西街道方面へと抜ける道)沿いにある「新町薬師堂」。「犬伏」の地名は古くは「犬臥」とも書き、山伏がヒヒを退治した際に連れてきた犬が戦いで死んだのでこの地に葬ったことが地名の由来とされる(犬伏町郷土誌より)。

会津への道中、三成からの書状

江戸から上杉家討伐(会津討伐)のために会津に向かっていた徳川秀忠に合流するため、真田昌幸、信幸、信繁の三人は七月上旬に信州・上田を発っていました。7月21日、その道中の下野国犬伏で真田父子のもとに届いたのが、三成からの「秀吉の遺言に背いた家康には非がある」「秀吉の恩を忘れていなければ、(秀吉後継者の)秀頼に忠節を誓ってくれ」との書状でした。

三成は、会津討伐のために東へと出発した家康の不在を狙い、出兵を企てたのです。

この書状を受けて、真田父子三人は犬伏の地で話し合いの場をもうけます。

父子の密談「犬伏の別れ」で東西に分かれる

信幸は一時期徳川に出仕しており、妻・小松姫(吉田羊)が徳川四天王のひとり・本多忠勝(藤岡弘、)であったことなどから、徳川方(東軍)につくことを決めます。

一方、兼ねてから徳川家康を良く思っていなかった昌幸は勝った時の恩賞も大きいと予想される秀吉方につき、これに信繁も追従する形をとり、父子が敵味方に分かれることになるのです。

この ”決別” には徳川(東軍)、豊臣(西軍)どちらが勝っても真田家が存続するように、という真田家の生き残り戦略があったともされます。

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