【わろてんか】米問屋「北村屋」は荒物問屋「箸吉」(吉本家)がモデル

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」に登場する「北村屋」についてまとめます。

「北村屋」は、明治時代まで存在した老舗荒物問屋「箸吉」(吉本家)がモデルになっていますので、あわせてまとめておきます。

江戸時代から続く老舗米問屋「北村屋」

「北村屋」は、大阪船場で古くから続く老舗米問屋です。創業は文化7年(1810年)とのことで、物語がスタートする明治35年(1902年)の時点で92年の歴史を有することになります。

物語スタート時の北村屋は、跡取り(長男)である息子・藤吉(松坂桃李)が家を飛び出して帰って来ない状態で、御寮人(当主の妻)である北村啄子(鈴木京香)が店を支えています。北村屋の当主にあたるであろう藤吉の父は、妾にうつつを抜かして借金をこしらえた末、若くして亡くなってしまったようです。

残された借金に追い詰められ、苦しい経営状態が続く北村屋。啄子、それに家に戻った藤吉らが北村屋の看板を守ろうと奮闘しますが、ついに…。

箸吉、吉本家がモデル

▼ヒロイン夫婦のモデルは、吉本興業創業者、吉本吉兵衛(別名・泰三)と吉本せい。

この「北村屋」(北村家)は、大阪・上町本町橋東詰にあった老舗荒物問屋「箸吉」(吉本家)がモデルになっています。この箸吉を営んでいた吉本家が「吉本興業」の創業家となります。

※「荒物」とは、日常生活に使う雑多な品物。ざる、桶、はたき、ほうきなど。(三省堂「大辞林」より引用。)

「箸吉(はしよし)」は当時の大阪ではそれなりに名の通った老舗だったようですが、日露戦争後の不景気のあおりを受けるなどして経営状態が悪化していきます。

元来父母と折り合いが悪かったらしい吉本吉兵衛(藤吉モデル人物)はますます家に寄り付かなくなり、妻・せいに借金の取り立てなどの面倒ごとを丸投げ。自分は剣舞の旅芸人一座に入り浸り、旅から旅の日々を送っています。

結局箸吉は、明治42年(1909年)に本町通拡幅のために立ち退きを要求されると、これを機会にと廃業を決意。吉本家は元来商売に対する執着が薄かったのか、あっさりと箸吉の歴史にピリオドを打っています。

妻・せいはといえば、嫁入り以来姑の吉本ユキからイジメを受け、夫は芸道楽で帰って来ず、あげくに家業が廃業してしまうなど散々な日々。一時的に実家の林家(天満の米穀商)に戻り(その後家を出る)、明治45年(1912年)に夫婦で寄席経営を開始するまで停滞した日々を送っています。

▼東横堀川にかかる「本町橋」の東詰(本町通)。この近辺に「箸吉」があったとされる。現在は頭上を阪神高速が通る大阪・都心部の一角。

「北村屋」と「箸吉」相違点は

ドラマ「北村屋」とモデル「箸吉」との設定の違いとしては、

・箸吉は米穀商ではなく、荒物問屋だったこと
・箸吉(吉本家)前当主・吉本吉左衛門(吉兵衛の父)が隠居として健在だったこと
・ドラマでは藤吉が事業で失敗し借金を膨らませた末に北村屋を売却するのに対し、箸吉は道路拡張をキッカケに店の撤退、廃業の決意をしたこと

などが挙げられます。

一方類似点としては、

・夫が実家と折り合いが悪く、旅芸人一座に入り浸ったこと(ただしドラマでは結婚前のこと)
・姑が嫁イビリをしたこと
・家業の廃業により、結果的に夫婦での寄席経営を始めること
・夫の実家は寄席経営に猛反対
・夫の芸道楽がその後の商いの強みになること

などが挙げられます。

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