【わろてんか・ヒロインモデル】吉本せいが育った場所(実家)、嫁ぎ先・箸吉があった場所

NHK連続テレビ小説「わろてんか」のヒロイン・せい(葵わかな)は、京都にある薬種問屋「藤岡屋」の生まれという設定。

しかし、そのモデル人物である吉本せいは大阪でも特に賑わいがある天神橋筋、天満青物市場が近い地域で育っており、「わろてんか」のヒロインとは少々育った環境が違います。

この記事では、吉本せいが育ったとされる地域、それに嫁ぎ先・箸吉のあった場所などをまとめます。

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天神橋筋の賑わいの近く(天満)で育った

「吉本せい お笑い帝国を築いた女」(中経文庫)によれば、吉本せいの実家(米穀商)は「南同心町一丁目」にあったとのこと。現在の地域の呼び名としては「天満(てんま)」(曲流する大川の北西地域)と総称される一帯で、天神橋筋にもほど近く賑わいを身近に感じる町です。

現在は車が行き交う大通り(主要地方道)が一般的に「天神橋筋」と呼ばれますが、もともとはその一本東側にある現在の「天神橋筋商店街」の筋が、古くから言われた本来の「天神橋筋」となります。

この天神橋筋商店街は現在、「日本一長いアーケード商店街」(南北2.6km)として知られます。


▼現代的な賑わいを見せる天神橋筋商店街も、江戸初期〜明治〜大正〜昭和そして平成と長い歴史を持つ繁華街。

天神橋筋は「天神祭」で知られる「大阪天満宮」の参道として江戸初期から栄え、天下の台所とうたわれた「天満青物市場」(天神橋と天満橋の間、大川沿いにあった。天神橋筋を南に辿るとぶつかる場所)から流れてくる人々も加え、大阪で有数の賑わいを見せる繁華街として発展してきました。

江戸時代に京と大坂を結び、人や物資を大量に運んだ「三十石船」の乗船場「八軒家」も、この天満青物市場付近にありました。大量に運ばれる物資を取り扱う人々が川沿いに集まり、周辺は一日中喧噪に包まれたそうです。

吉本せいが生まれたのは、明治22年(1889年)のこと。(※生まれは父の故郷である兵庫・明石だともされます。)

庶民的な賑わいにあふれ、生活のあちらこちらに商いの香りが漂う天満、天神橋筋近辺で育ったせいは、幼い頃から父の米穀商の仕事を手伝いながら「大阪らしい」人々とのやり取り(掛け合い)、街の雑多な雰囲気を体感しています。

▼吉本せいが育ったとされる現在の大阪市北区同心あたり(天神橋三丁目付近を東へ入った一帯)。道の東西には大坂城北方を守るために設置されたという寺院が並ぶ。

嫁ぎ先・箸吉は船場方面

一方、せいの嫁ぎ先となる荒物問屋「箸吉」(吉本家。「わろてんか」に登場する「北村屋」のモデル)は、同じ大阪の「東横堀川にかかる本町橋のたもと」(橋の東側、内本町橋詰町か)にありました。せいの実家からは1.5kmほどの距離で、いわゆる「船場」と呼ばれる地域に隣接する場所にあたります。

大阪の町人、商家の中心地・船場。その範囲の定義としては、四方を河川、堀川(東横堀川=東端、西横堀川=西端、長堀川=南端、土佐堀川=北端)に囲まれた地域であり、箸吉があった本町橋東詰は船場の東隣り、昔でいう「東船場」ということになるかと思います。

箸吉は、せいが嫁いで間もなくの明治42年(1909年)に本町通の道路拡張により立ち退きを命じられると、これをキッカケに廃業を決断しています。

▼東横堀川にかかる「本町橋」の東詰(本町通)。この近辺に「箸吉」があったとされる。現在は頭上を阪神高速が通る大阪・都心部の一角。

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