朝ドラ【わろてんか】旅芸人一座「福楽座」とは モデルとなった旅巡業一座

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」に登場する旅芸人一座「福楽座」についてまとめます。

また、「福楽座」のモデルとなっている旅一座があるのかについてもまとめます。

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目次

神社の薬まつりで興行開催「福楽座」

「福楽座(ふくらくざ)」は、全国各地を旅しながら芸を見せて回る旅芸人一座です。

福楽座は、後にヒロインの夫となる北村藤吉(松坂桃李)が、実家の「北村屋」を飛び出してもぐり込んでいる一座で、後にドラマ上で重要な役割を演じることになる芸人仲間・キース(大野拓朗。幼少期は前田旺志郎)、リリコ(広瀬アリス。幼少期は莉帝)も所属しています。

わろてんか第1週では、「薬まつり」が行なわれている京都の神社の境内で、福楽座が興行を行なう様子が描かれます。福楽座の舞台には「全国福楽座贔屓之会」の幕が張られ、皿回し芸人(豊来家玉之助)や大阪からやってきた落語家(桂南光)などが高座(舞台)に登場。京都の人々を大いに笑わせます。

この祭りへとやってきたてん(新井美羽)は旅芸人の藤吉と運命の出会いを果たし、てんの人生は大きく動き始めるのです。

▼「薬まつり」のシーンの撮影が行なわれた油日神社(滋賀県)。プレッシャーも多い商売の世界に嫌気が差し、華やかな「ハレ」の場を転々とする旅一座に憧れてしまう藤吉の気持ちもわかるような…。

吉本吉兵衛(泰三)がのめり込んだ旅巡業

さて。この福楽座ですが、創作のモチーフになっていると思われる旅一座が存在しますので、以下にまとめます。ただし、ドラマとは時系列や一座への関与の状況が異なりますので、そのあたりもまとめます。

北村藤吉のモデル人物・吉本吉兵衛(別名泰三。吉本興業創業者)は、吉本せい(てんのモデル)と結婚したものの、落語や芝居見物など芸ごとが大好きな道楽者でした。やがて剣舞の楽しさを覚えた吉兵衛は、さらに芸遊びの世界に深くのめり込んでいきます。

これには、

①もともと家業に興味を持てなかったこと
②家業の金物問屋「箸吉」の経営状態が苦しく、債権者が押し寄せる日々だったこと(妻に任せて自分は雲隠れ)
③実父や継母(この継母・ユキがなかなかのクセ者だった)との折り合いが悪かったらしいこと
④妻のせいが口うるさく、家に居づらかったのではないか

といった、家に寄り付かなくなる様々な理由が推測されています。

「女賊島津お政本人出演のざんげ芝居」

とにもかくにも、当時流行の剣舞にドハマりしてしまった吉兵衛は、次第に自身の芸を他人にも見せたくなってしまい、ついには「女賊島津お政本人出演のざんげ芝居」の太夫元(興行主)となってしまいます。

吉兵衛は一座とともに地方巡業に明け暮れ、幕間には自身も出演し、束の間の「芸人気分」を味わう日々を送っています。この間に箸吉は着々と経営悪化の道を辿り、結局箸吉は廃業に至ってしまいますが、吉兵衛の芸遊びは一向になおらず。後に夫婦で寄席経営を始めるまでは、妻のせいもずいぶんとヤキモキしたようです。

結婚とともに旅一座から離れる藤吉

藤吉が芸人に憧れ「福楽座」にもぐり込んでいるという設定は、吉兵衛が剣舞にハマり旅一座に同行していたという史実がモデルになっていると考えられます。

ただし、当主だった吉兵衛(既婚)が芸にハマリ家を空けてまで旅巡業にのめり込んだという史実に対し、ドラマの藤吉は旅巡業の末にてんとの結婚を決意し、実家に戻って家業を継ぐという時系列、経緯の相違点が見られます。

いずれにしても、「道楽」だったはずの芸遊びが後の事業の萌芽となる点は同じ。商いの才はあれど芸の世界などさっぱりわからないてん(せい)にとって、夫の回り道の経験は大きな財産になっていくのです。

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