NHK連続テレビ小説「風、薫る」で直美の軍人となる小川吾郎。やがて二人は結婚し直美が妊娠するなど幸せな時間を過ごすことになりますが、ほどなくして吾郎の出征が決まります。
この小川吾郎という人物は、直美のモデルである鈴木雅の夫だった軍人・鈴木良光がモデルになっていると考えられます。一部今後のネタバレを含みますのでご注意ください。
見舞客の小川吾郎 最初の印象は「芋男」「がばい偉そうな尼さん」
直美(上坂樹里)と陸軍軍人・小川吾郎(甲斐翔真)が出会ったのは、直美が帝都医大の看護婦取締として働いていた第13週・第63回のことでした。
吾郎は直美の担当患者だった陣内清(細川岳)の見舞客として来院し、陣内に牡丹餅を差し入れていますが、これを直美が厳しく注意。
吾郎が「がばい偉そうな尼さんばい」と直美を睨みつけると、病室から出た直美も「何なの、あの芋男(怒)」と吾郎に対する怒りをあらわにしています。
ファーストインプレッションこそ最悪だった二人ですが、やがて直美の働きぶりや生き方に尊敬の念を抱いた吾郎が直美にアプローチ。友人として交友がスタートした二人は次第に互いを意識するようになります。
直美と吾郎が結婚 妊娠、出征 吾郎は亡くなる?
やがて吾郎の思いは通じ、直美と吾郎は結婚。幸せな新婚生活を送る中で直美が妊娠をするも、ほどなくして吾郎の出征が決まり(日清戦争)、直美はさまざまな思いを胸に抱えて吾郎を戦地へと送り出しています。
吾郎の出征から1ヶ月後、直美は元気な男の赤ちゃん「明(あきら)」を出産。美津やりんの力を借りながら子育てに励んでいきます。
後述するように小川吾郎のモデルである軍人・鈴木良光は西南戦争で受けた銃創により若くして亡くなっており、時系列こそ違いますが小川吾郎も戦争で怪我をし命を落とす展開があるかも知れません。
【放送後の追記】吾郎の死因は?
第110回では、多江(生田絵梨花)が働く広島の陸軍予備病院に遠征先で負傷をした吾郎が運び込まれ、治療の甲斐なく亡くなってしまいます。
この時、日清戦争はすでに終結し、吾郎が所属していた近衛師団は大陸からそのまま台湾にわたっていました。吾郎は台湾での戦闘中、岩場から転落して負傷。広島に運ばれたもののそのまま病院で亡くなってしまったとのこと。
多江によると、吾郎は右足の脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を骨折していましたが、病院到着時には末端のしびれや四肢冷感、動悸などの脚気の症状が出ていたそう。吾郎は怪我ではなく、戦地での栄養不足による脚気が原因で亡くなったようです。

【史実モデル】鈴木雅の夫・鈴木良光 戦争で傷を負い、若くして死別
大家直美のモデル人物である鈴木雅は、若き日に陸軍軍人の鈴木良光(すずき・よしみつ)と結婚し二人の子どもを出産しています。この鈴木良光という人物が「風、薫る」に登場している小川吾郎のモデルと考えられます。
1858年(安政4年)に静岡県の士族で幕臣だった加藤信盛の娘として生まれた鈴木雅。
どうしても英語を学びたかった鈴木雅は、その後はどんな縁談でも受け入れるという条件で両親に頼み込み、横浜のフェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)の寮に入っています(1876年、明治9年)。
フェリスで2年にわたり英語を学んだ鈴木雅は、それで満足をして約束通りに帰郷。1878年(明治11年)に陸軍の大尉だった鈴木良光と結婚をしています。
※鈴木良光は、幕臣の陸軍奉行並支配・鈴木良右衛門を父に持ち、旧徳川家に仕えて父と共に鳥羽伏見の戦いに参戦。転戦の後に五稜郭に立て籠もるものの、榎本武揚の説得により降伏。その後は明治新政府の陸軍に入隊、歩兵第9連隊第二大隊長心得(大尉)として西南戦争に出征するなど軍人の道を歩んでいます。
鈴木雅はこの縁談を「私にはもったいないくらいの良い縁談」だったと後に語っていたようです。
夫が第九連隊の京都分隊伏見連隊長に所属していたこともあり、新婚時代は大津、京都などで暮した二人。やがて二人の間には娘のみつと息子の良一が誕生しています(その後、夫の異動に従い東京、仙台でも生活)。
忙しいながらも幸せな家庭生活を送っていた雅でしたが、結婚から5年後の1883年(明治16年)、鈴木良光は西南戦争出征時に受けた銃創が原因で床に伏せるようになり、任地先の仙台衛戊病院で病没しています。
自分に看護の技術があれば夫の最後の時間をもっと安らかに過ごせたのではないか…。(夫の恩給はあるものの)シングルマザーとして自立して生きていきたい…。雅は次第にそんな思いを抱くようになったようです。
明治20年(1887年)、雅は二人の子供を郷里の静岡に残し、大きな決意を胸に上京。創設されたばかりの桜井女学校附属看護婦養成所の第一期生となり、トレインドナースへの道を歩み始めると、盟友となる大関和(「風、薫る」一ノ瀬りんのモデル)と出会っています。
この時、鈴木雅と大関和はともに28歳。看護婦養成所の寮で同室になっています。
【参考】
「風、薫る」の直美が看護婦養成所に入所したのは22歳、明を出産したのが30歳のこと。
結婚のタイミングに違い 直美はシングルマザーに
「風、薫る」は大関和と鈴木雅の人生をモチーフとして、設定を大幅に変更した上で創作されている物語です。そのため、直美の結婚生活に関しても史実とは異なるオリジナルストーリーが描かれていきそうです。
時系列こそ違いますが、直美はモデル人物と同様にシングルマザーとなり、看護婦の仕事に邁進していきます。
史実の鈴木雅は、体調を崩していた息子の良一(当時20歳前後)に良い環境を与えるために、自身が立ち上げた東京看護婦会の仕事を引退(明治34年頃。鈴木雅は43歳前後)。大関和に看護婦会の代表の座を譲ると、良一とともに京都の下鴨へと引越しています。
▼設定の改変は諸々ありますが、直美の母(柳川文)が静岡出身というのは史実を踏襲したもの。浦崎八幡の親子参拝シーンはドラマの中の名シーンのひとつ。

