NHK連続テレビ小説「風、薫る」は第1週の1882年(明治15年)から物語がスタートし、トレインドナースを目指すWヒロインのりん、直美の半生が描かれていきます。
この記事では、現在進行中のドラマ内においてりん、直美、安、それにりんの娘の環が何歳になっているのか、年表や出来事とともに時系列でまとめておきます。
【第1週】1882年(明治15年)…りん・直美17歳、安15歳(コロリが流行、信右衛門が亡くなる)
ドラマ公式ガイドブックのあらすじによれば、第1週・1882年(明治15年)時点のりん(見上愛)、直美(上坂樹里)の年齢はともに17歳で、同い年。りんの妹・安(早坂美海)は2歳下という設定。
▷栃木・那須の農村ではコロリ(コレラ)が流行し、りんの父・信右衛門(北村一輝)が急死。
▷直美は東京のマッチ工場でマッチ箱を作って日銭を稼ぐ日々を送る。
1882年(明治15年)時点の年齢
→りん・直美=17歳、安=15歳
【補足】モデル人物の生年、年の差は?
一ノ瀬りんのモデルである大関和(おおぜき・ちか)は1858年5月23日(安政5年4月11日 ※旧暦)生まれ、大家直美のモデルである鈴木雅は1858年2月9日(安政4年12月26日 ※旧暦)生まれ。現代の学年で言うと鈴木雅が大関和よりも一学年上ですが誕生日は3か月ほどしか違わず、二人はほぼ同い年です。
また、ドラマ開始時の1882年(明治15年)にりんと直美は17歳という設定ですが、史実の大関和と鈴木雅は1882年当時は24歳前後。ドラマは史実より7年ほど若い設定になっていますね。
ドラマ放送開始時、Wヒロインを演じる見上愛(りん役)は25歳、上坂樹里(直美役)は20歳。二人のインタビューを見ても見上愛が年上として上坂樹里を引っ張っているような関係性が見えます。
▼「風、薫る」の原案となっている「明治のナイチンゲール 大関和物語」。
【第1週〜2週】1883年(明治16年)…りん・直美18歳、安16歳(りんが奥田亀吉と結婚、環が生まれる)
▷安の縁談が破談に。
▷りんに18歳年上の運送業・奥田亀吉(三浦貴大)との縁談話(後妻)が舞い込む。
▷りん、栃木の道端で大山捨松(多部未華子)と出会う。
▷りん、奥田亀吉と結婚。ほどなく娘の環が生まれる。
▷直美、マッチ工場を解雇される。
1883年(明治16年)時点の年齢
→りん・直美=18歳、安=16歳
▼りんの結婚生活は早々に破綻しますが、再婚の可能性も?
【第2週〜4週】1886年(明治19年)…りん・直美21歳、安19歳、環3歳(りん、奥田家を飛び出し東京へ りんと直美が出会う)
時代は3年飛んで1886年に。
▷りんと亀吉の娘・環(宮島るか)は3歳になっている。
▷泥酔した亀吉が火事を起こし、りんと環が一ノ瀬家に避難。そのまま東京へ逃亡。
▷東京で職探し中のりんが、道端で直美と運命の出会いを果たす。
▷りんは瑞穂屋で、直美は鹿鳴館で働き始める。
▷りんは島田健次郎(佐野晶哉)と、直美は小日向栄介こと寛太(藤原季節)と出会う。
▷美津と安が上京し、りんと環と一緒に暮らし始める。
▷りんと直美、大山捨松からトレインドナースにならないかと誘われる。
1886年(明治19年)時点の年齢
→りん・直美=21歳、安=19歳、環3歳
【第5週〜6週】1887年(明治20年)?…りん・直美22歳、安20歳、環4歳(りんと直美、梅岡女学校付属看護婦養成所に入学)
▷りんと直美が梅岡女学校付属看護婦養成所に入学。※恐らく1887年(明治20年)のエピソードと思われます。
1887年(明治20年)時点の年齢
→りん・直美=22歳、安=20歳、環4歳
【第7週〜12週】1888年(明治21年)?…りん・直美23歳、安21歳、環5歳(りんと直美、梅岡女学校付属看護婦養成所に入学)
▷りんと直美、帝都医科大学附属病院で看護婦見習実習生となる。
1888年(明治21年)時点の年齢
→りん・直美=23歳、安=21歳、環5歳
【第13週〜】1889年(明治22年)?…りん・直美24歳、安22歳、環6歳(りんと直美、帝都医科大学附属病院で看護婦に)
▷りんと直美、看護婦養成所を卒業。帝都医科大学附属病院で看護婦としての初日を迎える。
1889年(明治22年)時点の年齢
→りん・直美=24歳、安=22歳、環6歳
▼参考記事。時代設定が近い「ばけばけ」の年齢と年表。「ばけばけ」はトキが7歳だった1875年(明治8年)から物語がスタートしています。「風、薫る」とほぼ同時代。

【参考】大関和、鈴木雅の人生年表
参考までに、Wヒロインのモデル人物である大関和、鈴木雅の簡単な人生略歴、年表をまとめておきます。
・1858年(安政4,5年)…大関和、鈴木雅が生まれる。
・1876年(明治9年)…鈴木雅、フェリス・セミナリー(現フェリス女学院)に入学。
・1876年(明治9年)…大関和、黒羽藩次席家老の次男、渡辺福之進と結婚。一男一女をもうけるものちに離婚。
・1878年(明治11年)…鈴木雅、軍人の鈴木良光と結婚。一男一女をもうける。
・1881年(明治14年)…大関和、上京。
・1883年(明治16年)…鈴木雅、夫の鈴木良光と死別。
・1886年(明治19年)…大関和、鈴木雅が桜井女学校付属看護婦養成所に第一期生として入学。アグネス・ヴェッチのもとで学び、帝国大学医科大学附属第一病院(現在の東京大学医学部附属病院)で実習を重ねる。
・1890年(明治23年)…大関和、新潟県高田女学校(現在の上越高等学校)の伝道師及び看護婦に。
・1891年(明治24年)…鈴木雅、東京本郷に慈善看護婦会(のちの東京看護婦会)を創設。大関和、知命堂病院の看護婦長に。
・1896年(明治29年)…鈴木雅、東京看護婦講習所を開いて派出看護婦の養成に貢献。大関和、鈴木雅に誘われて東京看護婦会の教師に。
・1899年(明治32年)…大関和、大日本看護婦人矯風会を設立。
・1901年(明治34年)…大関和、東京看護婦会の会頭になる。鈴木雅が引退。
・1904年(明治37年)…大関和、看護学通信講習会を開設。所長になる。
・1909年(明治42年)…大関和、大関看護婦会を設立。
・1932年(昭和7年)…大関和、満73歳で死去(脳溢血が悪化)。
・1940年(昭和15年)…鈴木雅が死去。