NHK連続テレビ小説「風、薫る」に登場している一ノ瀬りんの長女・環(たまき)。
環のモデル人物である大関心(おおぜき・しん)は若くして亡くなっており、これに従えば環も若くして亡くなってしまう可能性がありますが…。
【風、薫る】りんの一人娘・環 看護婦の夢を抱く?
りん(三上愛)と前夫との間に生まれた長女の一ノ瀬環(英茉)。
物心が付いた頃にはすでに父がおらず、母も仕事などで不在がちで寂しい思いも抱えているはずの環ですが、祖母の美津(水野美紀)、叔母の安(早坂美海)、それに直美(上坂樹里)、シマケン(佐野晶哉)ら大人たちに見守られて素直な子に育っています。
りんの仕事ぶりを身近に感じて育ってきた環は、今後看護婦を目指して勉学に励んでいくことが予想されます。
環を女学校に通わせ、しっかりとした教育を受けさせてあげたいと頑張って働くりんですが、史実を参考にすると環には悲しい未来が待っている可能性があります。
※後述するように、環のモデルと思われる大関心は20歳で亡くなっています。物語の後半でりんが環を失い、後悔の念に打ちひしがれる展開があるかも知れません。
ただし、史実の大関和は一男一女をもうけているのに対し、「風、薫る」一ノ瀬りんは一人娘のみ。「風、薫る」ではたびたび史実からの大幅な設定変更が見らるため、環が早世せずに立派な看護婦に成長する可能性もあります。
【史実モデル】大関和の娘・心 看護婦の道を志す
「風、薫る」に登場している一ノ瀬環は、大関和(一ノ瀬りんのモデル)の長女・大関心(おおぜき・しん)がモデルになっていると考えられます。
18歳で栃木・黒羽藩の元士族・渡辺福之進豊綱と結婚した大関和は、長男の六郎、長女の心を出産しますが、夫が複数の妾を持つなど不誠実だったために離婚。
離婚後は栃木を離れて母の哲(一ノ瀬美津のモデル)、妹の釛(こく。一ノ瀬安のモデル)、六郎、心とともに一家で東京へと移住し、トレインドナースの道を歩んでいます。
大関和は看護学校の寮に2年間入寮したり、新潟・高田に5年半にわたり単身赴任をしたりと、母親として六郎や心と一緒に過ごせない時間が多かったようです。心はドラマと同様に祖母の哲、叔母の釛らがしっかりと育て、真面目で天真爛漫な女の子に育っています。
心はやがて、桜井女学校から発展した女子学院(※)に通うようになると、母と同じ看護婦になりたいという夢を描くようになっていました。
(※)母の大関和が通った桜井女学校附属看護婦養成所は第一期生を輩出した後に廃止になっていますが、本体である桜井女学校は現在も続く女子教育の名門・女子学院へと発展しています。
女子学院の初代院長・矢嶋楫子は、桜井女学校ならびに附属看護婦養成所で校長を務めた人物であり、大関和としても娘を安心して女子学院に進学させたようです。


【史実モデル】志半ば、20歳で結核で亡くなる心 母の和は後悔の念
心は、家族ぐるみで付き合いがあった看護婦・鈴木雅(大家直美のモデル)への憧れもあったようです。
「お雅ちゃんのように誰からも頼りにされ、お母様のように患者さんのためなら骨身を惜しまない看護婦になりたい」
そんな夢を描いた心は、女子学院を卒業後には慈恵看護婦教育所へと進学。厳しい礼儀作法を叩き込まれることで知られる慈恵看護婦教育所で、一流の看護婦になるための教育を受けていました。
そんな心の未来を、突然の病が奪い去ってしまいます。
1900年(明治33年)。20歳になっていた心は看護学校での座学や実習を終えると不調を訴え、医師から結核と診断されてしまいます。
それからわずか4ヶ月後。母・和の付きっきりの看護もむなしく、心は早世してしまいます。
心の葬儀は和がお世話になっていた植村正久牧師の一番町教会で行われました。和は心の死を認めることができず、涙も出ずに呆然自失。葬儀に出席した鈴木雅も和にかける言葉が見つからなかったそうです。
愛娘の死を受け入れられず、もっと一緒の時間を過ごせばよかったと後悔ばかりが押し寄せる和。当時の和は、鈴木雅とともに東京看護婦会を運営、牽引していましたが、心の死後に雅に辞表を提出すると、そのまま箱根湯本の温泉宿に長期にわたり隠遁をしています。
心のいない世界で、これまでの生活を続けていく意味を見いだせない…。虚無感や深い後悔とともに箱根湯本でひっそりと暮らしていた和でしたが、翌年に雅から電報で呼び戻されると、急遽引退することになったという雅に代わり、東京看護婦会の代表役を引き継いでいます。
▼直美が立ち上げる慈善看護婦会。史実に沿えば、後にりんが新潟から帰京し、直美の仕事に合流するはず。
