NHK連続テレビ小説「ブラッサム」で、主人公の父の実家・葉野本家が営む「葉野酒造(はのしゅぞう)」についてまとめます。
この葉野酒造は、宇野千代の父の実家が営んでいた岩国の宇野酒造がモデルになっていますので、どこにあったのかなどをまとめます。
ヒロイン父の生家が営む「葉野酒造」
「ブラッサム」ヒロインの葉野珠(村上蘭→石橋静河)は、明治時代中期に山口県岩国に生まれたという設定です。
珠の父・葉野清治(渡部篤郎)は岩国でも有数の蔵元「葉野酒造」の長男であるにもかかわらず、実家を継がずに気ままに暮らしています。清治は気まぐれで突然怒り出すことがあり、娘の珠をはじめ家族へのしつけが大変厳しい人。理不尽な行動も多い放蕩無頼の父が、珠の人格形成に影響を与えていきそうです。
葉野の本家は清治の弟である葉野清重(三浦誠己)が継いでおり、「葉野酒造」は清重の切り盛りにより、歴史ある酒造りが継承されているようです。
清治が葉野家を継がなかったのは、足が悪い弟の清重の事情を思ってのこと。清治は家督を清重に譲る代わりに実家から継続的な仕送りを貰う約束を取り付けているのですが、この件を巡り清治と清重の兄弟の仲違いが発生していきます。
※史実を参考にすれば、葉野酒造(葉野本家)は珠が暮らす生家から少し離れた場所にあるという設定になるのではないかと予想します。
※葉野酒造の建物外観、周囲の町並みは、京都の松竹撮影所のオープンセット(大通り付近)で撮影されたようです。
モデルは宇野酒造 宇野千代の父の生家
ドラマに登場する葉野酒造は、ヒロインのモデルである宇野千代の父・宇野俊次の生家が営んでいた宇野酒造がモデルになっています。
宇野俊次は代々酒造業を営む宇野家7人兄弟の次男の生まれで、競馬や博打などあらゆる道楽に手を出す放蕩者でした。
千代は父のことを「バルザックかドストエフスキーの小説にしか出て来ないような一種の奇人乃至狂人だった」と表現しており、無頼者の父がろくに働かず実家からの仕送りに頼っていたため、一家の家計は苦しかったそうです。
千代の生家は岩国の川西という小さな町(JR岩徳線・川西駅近く)にありましたが、宇野本家は川西からさらに西に約15kmほど内陸に入った岩国の高森地区にありました。千代は1歳半の時に実母・トモを亡くすと、一時的に高森の宇野本家に預けられていたそうです。
宇野本家が代々営む宇野酒造は地元でも有数の造り酒屋でしたが、次男だった俊次が家業に就くことは生涯ありませんでした。宇野酒造は親族(俊次の兄で長男の政介?)が継いだようです。
【宇野千代『生きて行く私』より引用】
母が死んでからしばらくの間、私は高森と言うところにあった父の生家へ預けられた…。父の生家は父祖代々の造り酒屋で、近在に聞こえた分限者であった。
※分限者(ぶげんしゃ)=財産家、富豪。
▼宇野千代が80代の頃に書き上げた自伝的小説「生きて行く私」には、高森の本家のこと、2,3年前に取材のために約70年ぶりに高森の家を訪ねたことなどが書かれています。


高森の宇野本家、宇野酒造はどこにあった?
宇野本家の屋敷があった場所は、現在の岩国市周東町下久原中市1282-2あたり。
JR岩徳線の周防高森駅から南に少し行った通り沿い、現在は礒田酒店があるあたりです。恐らくこの付近に宇野酒造もあったものと思われます。
宇野千代が亡くなる2年前の1994年(平成6年)には、この宇野本家の屋敷跡の一角に「宇野千代先生《文学碑》」が竣工し、宇野本家の三姉妹が参加した除幕式が行われています。
文学碑には、宇野千代『或る一人の女の話』の以下のような一節が刻まれています。
この高森の
廣い往還を
思ひ出すたびに
なぜあの山奥に
ふいにあんなに美しい
町並があつたのか
不思議に思ふ
当時の高森は並木道の大通りに白壁の家が立ち並び、山間部の田舎町とは思えないような美しい風景があったそうです。宇野本家も町有数の商家として、往時の高森の賑わいを生み出していたことでしょう。
▼宇野千代が生まれ育った川西の町は、高森よりも岩国の中心部に近い場所にあります。町のすぐ横を流れる錦川に架かる観光名所・錦帯橋と桜の風景、名作『おはん』に出てくる臥龍橋なども身近。桜のデザインを多用し着物デザイナーとしても成功した宇野千代の美意識は、故郷岩国で育まれました。

