「ブラッサム」葉野珠は今何歳?年齢、時代、人生年表まとめ 宇野千代は何歳まで生きた?

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NHK連続テレビ小説「ブラッサム」の第1週は、加賀まりこが演じる85歳の主人公・葉野珠(はの・たま)が登場。老いてもなお執筆を欠かさず精力的に生きる珠の姿が描かれそうです。

この記事では、各週ごとの時代設定や、主人公の葉野珠が今現在何歳なのかをドラマの進行にあわせてまとめていきます。

また、主人公・葉野珠のモデルである作家の宇野千代の人生年表もあわせてまとめておきます。

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目次

モデル・宇野千代はいつの時代の人?何歳まで生きた?

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「ブラッサム」のヒロイン・葉野珠のモデルである宇野千代(うの・ちよ)は、1897年(明治30年)に山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市川西町)で生まれ、1996年(平成8年)に急性肺炎のため98歳で亡くなっています。

作家(小説、随筆等)、編集者、着物デザイナー、実業家など幅広い才能を発揮し人々(特に当時の女性たち)を魅了し、恋多き女としても知られた宇野千代。明治、大正、昭和、平成という激動の4時代を生きた宇野千代の人生をモチーフに、「ブラッサム」の物語が描かれていきます。

※「ブラッサム」のヒロイン・葉野珠も史実と同じく、1897年(明治30年)に山口県岩国に生まれたという設定。第1週冒頭では85歳になった珠が登場し、幼少期の岩国での過去に思いを馳せることに。

【参考】
朝ドラ「ばけばけ」の主人公のモデル・小泉セツが1868年(慶応4年/明治元年)、「風、薫る」の主人公のモデル・大関和、鈴木雅が1858年(安政4,5年)の生まれ。1897年生まれの宇野千代よりも30〜40歳ほど年上です。

「ばけばけ」「風、薫る」ともに明治時代中期が物語の時代設定の中心でしたが、「ブラッサム」では大正〜昭和時代が物語の中心となりそう。

【第1週】1982年/昭和57年…葉野珠・85歳(「生きて行く私」執筆、岩国へ)

第1週の冒頭では、85歳になり今もなお精力的に作家活動を続ける葉野珠(加賀まりこ)の姿が描かれます。

▷85歳の珠、自伝的小説「生きて行く私」を執筆中
▷秘書の藤川優子とともに岩国を訪ね錦帯橋で取材を受ける
▷岩国から逃げた過去の自分に思いを馳せ、幼少期に場面が切り替わる

珠のモデル・宇野千代は80代になっても女性向けの恋愛論や幸福論などのエッセイを多数執筆。1983年(昭和58年)に86歳で発表した自伝的小説「生きて行く私」は100万部超えのベストセラーを記録しており、「ブラッサム」第1週で描かれる85歳の珠は、この時期の宇野千代をイメージしたものとなりそうです。

【第1週】1908年/明治41年…葉野珠・11歳?(岩国の尋常小学校に通う)

第1週では、85歳の珠が描かれた後に明治末期の少女時代の珠(子役・村上蘭)が登場。

▷岩国の尋常小学校に通う11歳(?)の珠
▷弟の守は6歳、俊子は1歳、英男は生まれたばかり
▷ダメ父・清治との理不尽な日々

※NHKによるドラマの公式ガイドブックに掲載されているあらすじでは、第1週の時代設定は1907年/明治40年(珠10歳)とされていましたが、実際の放送では1908年/明治41年(表記はなかったものの珠は11歳??)となっています。詳細が分かり次第記事の年次を修正していきます。

モデルの宇野千代は1910年(明治43年)に13歳で岩国尋常小学校を卒業し岩国高等女学校に進学している。

【第2週】1913年 /大正2年?…葉野珠・16歳?(高等女学校に通う、最初の結婚)

第2週からはヒロインの石橋静河が本格的に登場。16歳で高等女学校に通う珠の姿が描かれます。

▷珠、山口第二高等女学校に通う。良妻賢母の育成を目的に教育を行う学校
▷同級生四人で同人誌「黎明」を創刊。内容が問題となり学校から厳しく注意
▷珠のもとに従兄の木村享一(小堀正博)との縁談が持ち込まれる

【第3週】1914年/大正3年?…葉野珠・17歳?(高等女学校を卒業、代用教員に)

▷珠、17歳で高等女学校を卒業。岩国第三尋常小学校の代用教員になる
▷同僚教師・島村辰彦と初恋。

【史実】宇野千代の人生年表

【0〜18歳】地元山口での生活(両親の死去、代用教員、地元を追われ朝鮮へ)

・1897年(明治30年)【千代0歳】…山口県玖珂郡横山村で生まれる。
・1899年(明治32年)【千代2歳】…千代が1歳半の時、実母・トモが肺結核で亡くなる。
・1900年(明治33年)【千代3歳】…父の俊次が若い娘・佐伯リュウと再婚。5人の異母弟妹が次々に生まれていく。
・1904年(明治37年)【千代7歳】…岩国尋常小学校(現・岩国市立岩国小学校)入学。成績優秀。
・1910年(明治43年)【千代13歳】…岩国高等女学校(現・山口県立岩国高校)本科に進学。文筆を得意とし「校友会雑誌」に作文が数度掲載。
・1911年(明治44年)【千代14歳】…従兄の藤村亮一と結婚するが10日で実家に戻る。
・1913年(大正2年)【千代16歳】…父の俊次が亡くなる。この頃、「女子文壇」などの文芸誌に投稿を始める。
・1914年(大正3年)【千代17歳】…女学校を卒業。川下村尋常小学校(現・岩国市立川下小学校)の代用教員になる。
・1915年(大正4年)【千代18歳】…同僚教師・佐伯正夫と職場恋愛をし、生徒にラブレターを運ばせるなどの行動が問題となり免職処分。正夫とも破局。地元に居づらくなり、知人を頼り朝鮮の京城(現・ソウル)へ出奔。

【19〜38歳】恋多き青年期、作家として名声を得る

・1916年(大正5年)【千代19歳】…京城から帰国。前夫・藤村亮一の弟で従兄の藤村忠(京都の旧制第三高等学校に通っていた)と懇意になる。
・1917年(大正6年)【千代20歳】…忠と京都で同棲した後、忠の東京帝国大学法科大学進学にあわせて上京、同棲。東京では様々な職を転々とし、本郷の高級洋食屋「燕楽軒」の給仕アルバイトで菊池寛、芥川龍之介、久米正雄、今東光らと知り合う。
・1919年(大正8年)【千代22歳】…忠が東京帝国大学を卒業、千代と忠が結婚(千代にとって2度目の結婚)。
・1920年(大正9年)【千代23歳】…忠が北海道拓殖銀行札幌支店に就職。夫婦で札幌に移住。
・1921年(大正10年)【千代24歳】…自作小説『脂粉の顔』が時事新報の懸賞短編小説で一等当選。賞金200円を獲得し作家デビュー。『墓を發あばく』を中央公論の編集長・滝田樗陰に送るも、音沙汰なし。
・1922年(大正11年)【千代25歳】…単身上京し滝田に確認すると、中央公論がすでに『墓を發あばく』に掲載されていた事を知る。多額の原稿料を受け取り、その足で故郷岩国へ。岩国から東京に戻り立ち寄った中央公論社で作家の尾崎士郎と出会い即座に恋に落ち、そのまま札幌に帰らずに士郎と同棲を開始(忠とはまだ婚姻関係あり)。
・1923年(大正12年)【千代26歳】…東京・馬込に家を建て尾崎士郎と暮らす。短篇集『脂粉の顔』を発表。川端康成、萩原朔太郎らと交流。
・1924年(大正13年)【千代27歳】…藤村忠との離婚が成立。尾崎士郎と3度目の結婚。『或る女の生活』発表、作品集『幸福』を出版。この頃に妊娠。
・1927年(昭和2年)【千代30歳】…逗留先の伊豆湯ヶ島温泉で梶井基次郎と親密になり、帰京後も交流。これが原因で夫の尾崎士郎との関係が悪化。
・1930年(昭和5年)【千代33歳】…尾崎士郎との離婚が成立。連載小説『罌粟(けし)はなぜ紅い』の取材のために洋画家の東郷青児を取材。その日のうちに東郷青児と同棲を開始。『罌粟(けし)はなぜ紅い』を刊行。
・1931年(昭和6年)【千代34歳】…東京・世田谷町のアトリエ付きの新築洋館で東郷青児と青児の連れ子と暮らす。
・1934年(昭和9年)【千代37歳】…東郷青児とともに賭け麻雀をしていた容疑で検挙(第二次文士賭博事件)。東郷青児が前の愛人と復縁したために破局。
・1935年(昭和10年)【千代38歳】…東郷青児の愛人情死未遂事件を本人から聞き書きした『色ざんげ』を刊行。作家として名声を高める。

【39〜48歳】北原武夫と雑誌「スタイル」創刊、戦争の時代へ

・1936年(昭和11年)【千代39歳】…新聞記者だった北原武夫とスタイル社を設立し、日本初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。『別れも愉し』を刊行。
・1938年(昭和13年)【千代41歳】…パートナーの北原武夫が『妻』を発表して芥川賞候補となり、文壇デビュー。
・1939年(昭和14年)【千代42歳】…北原武夫と4度目の結婚。
・1941年(昭和16年)【千代44歳】…北原武夫、三好達治とともに満洲、中華民国を長期取材旅行。異母弟の宇野光雄が亡くなる。
・1942年(昭和17年)【千代45歳】雑誌『スタイル』とスタイル社が敵性語となり、それぞれ『女性生活』、文體社と改名。
・1944年(昭和19年)【千代47歳】…『女性生活』が廃刊。文體社が解散。熱海へ疎開。
・1945年(昭和20年)【千代48歳】…北原武夫の郷里である栃木・壬生町へ疎開し終戦を迎える。

【49〜67歳】戦後の活躍 雑誌「スタイル」、着物デザイナーとしても成功

・1946年(昭和21年)【千代49歳】…スタイル社を再興し、雑誌『スタイル』も復刊。北原武夫が社長、千代が副社長に。『スタイル』が大きな成功を収めると、千代は着物のデザインも手掛けて同誌で紹介、販売をするようになる。
・1949年(昭和24年)【千代52歳】…「宇野千代きもの研究所」設立。
・1950年(昭和25年)【千代53歳】…ライフスタイル提案ショップ「スタイルの店」を開店。
・1951年(昭和26年)【千代54歳】…ヨーロッパ各地を旅して毎日新聞に『巴里通信』を寄稿。
・1952年(昭和27年)【千代55歳】…同業者からの告発により「スタイル社」の脱税が明るみに。以来、夫婦で借金まみれの日々。
・1955年(昭和30年)【千代58歳】…アメリカ・シアトルで着物のファッションショーを開催。継母・リュウがモデルとされる代表作『おはん』を刊行。
・1959年(昭和34年)【千代62歳】…スタイル社が倒産。大きな借金を背負う。
・1964年(昭和39年)【千代67歳】…夫婦で借金を完済した後、北原武夫と離婚。

【67〜98歳】老年期・旺盛な執筆活動 菊池寛賞、ベストセラー作家

・1970年(昭和45年)【千代73歳】…『幸福』で女流文学賞受賞。
・1973年(昭和48年)【千代76歳】…私費を投じて岩国の生家を修復。
・1974年(昭和49年)【千代77歳】…『雨の音』を発表。勲三等瑞宝章を受章。
・1982年(昭和57年)【千代85歳】…菊池寛賞を受賞。
・1983年(昭和58年)【千代86歳】…自伝的小説『生きて行く私』を発表。100万部を超えるベストセラーに。
・1990年(平成2年)【千代93歳】…文化功労者に。女流作家として4人目の選出。
・1996年(平成8年)【千代 満98歳】…急性肺炎のため東京都港区の虎の門病院で死去。

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