NHK連続テレビ小説「あさが来た」第14週(1月4日〜)で、五代友厚(ディーン・フジオカ)が大阪に「商業学校」を設立する準備を進めている、という話題が出ます。
この商業学校(=大阪商業講習所)は大阪有数の名門「大阪市立大学」の前身であり、近代大阪の芸術・文化・経済発展の歴史を象徴する、大阪市民の底力を感じさせる教育機関といえます。
五代が中心となり大阪商業講習所設立
大阪商業講習所が創設されたのは、明治13年(1880年)のこと。当時はまだ義務教育すら確立していない時代でしたが、五代は「欧米と渡り合うには、商人にも学問が必要」と考え、大阪の財界人と手を組み、大阪商業講習所の開校を実現させています。
※明治8年(1875年)に森有礼が東京で商法講習所(現在の一橋大学の源流)を創設しており、大阪商業講習所は商法学校としては日本で二番目のものでした。
大阪商業講習所は、市立大阪商業学校(1889年)、市立大阪高等商業学校(1901年)、市立大阪商科大学(1928年。日本最初の市立大学)を経て、戦後の学校制度の大改革により、新制総合大学である大阪市立大学となっています。
【追記】大阪市立大学は、2022年(令和4年)に同じく名門として知られる大阪府立大学と統合。「大阪公立大学」と改称し、新たな歴史を歩み始めています。
▼阿波座南公園(大阪市西区立売堀2丁目)の「明治老人憩いの家(明治会館)」横には、「大阪商業講習所跡」を示す碑があります。
大学は都市とともにあり、都市は大学とともにある
現在の大阪市立大学は8学部、10研究科を設置した日本最大の公立大学として知られますが、その特徴は旧制・市立大阪商科大学設立時に当時の大阪市長・關一が発言した
「大学は都市とともにあり、都市は大学とともにある」
「国立大学の “コッピー(copy)” であってはならぬ」
という言葉に象徴されます。
都市大学として発展
市民が大学を支え、そこで育った若者が今度は大阪の町を支えていくー。
もともと五代や地元財界人によって大阪商人のために設立された商業講習所が源流であり、1928年に大阪市民らの熱心な運動によって市立大阪商科大学に昇格した経緯などもあり、大阪市立大学は都市、市民と密着した「都市大学」として発展してきたのです。
「あさが来た」では、五代友厚が「大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)」、「大阪商法会議所(大阪商工会議所)」、それに「大阪商業講習所」を立ち上げるために奔走する姿が描かれます。いずれも現在の商都・大阪の基盤をつくった大きな事業であり、「大阪近代経済の父」と呼ばれる五代の偉業を象徴するものといえます。
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