NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する千代の親友・田村宜(吉岡里帆)という人物についてまとめます。
田村宜にはモデルとなっているとされる人物が存在しますので、あわせてまとめておきます。
寄宿舎同部屋・丸メガネの田村宜
田村宜(たむら・のぶ)は、白岡千代(小芝風花)が入学することになる「京都白川高等女学校」で出会う女の子です。
京都の女学校へと進学した千代は、寄宿舎で同室となった田村宜と話が合わずに不満を募らせます。宜は「男子に頼らない新しい女子の生き方」を学びたくて女学校に進学して来ており、「花嫁修業」を目的に進学した千代とはさっぱり噛み合ないのです。
あさに憧れを抱く宜
宜は、同じ女性としてあさに憧れを抱いていました。千代があさの娘だとは知らずにいた宜でしたが、あさの存在を介して思わぬことから二人は打ち解けていき、やがて「親友」と呼び合える間柄になっていきます。
宜は無愛想で堅物ではあるものの、向上心があり勉強熱心。そんな宜のことをあさも気に入り、やがて「愛弟子」のような存在として、宜を育てていくことになります。宜もその期待に応え、次第にあさの活動を支える重要な人物になっていきます。
モデルは家政学者・井上秀
田村宜のモデルだとされているのが、家政学者で日本女子大学第4代校長でもあった井上秀(いのうえ・ひで。1875-1963年)です。
丹波の資産家の家に生まれた秀は、関西有数の女学校・京都府高等女学校(現在の京都府立鴨沂高等学校)に進学すると、広岡浅子の娘・亀子(千代のモデル)と出会い、親友となっています。
学問が好きで、「男に頼るのではなく、自立して自分の道を切り拓きたい」と考えていた秀のことを、広岡浅子も気に入ります。
浅子は秀を加島屋に住み込ませて仕事を手伝わせたり、九州の炭鉱に同行させたりと何かと目をかけ、大切に育てていきます。
アメリカ留学 後に日本女子大学校長を務める
秀は結婚、出産をした後に、浅子の紹介もあり日本女子大学に第1期生として入学をしています(当時26歳)。
同大卒業後は、アメリカ・コロンビア師範大学(家政学)、シカゴ大学(社会学、経済学を通じて婦人の諸問題を研究)に学び、欧州遊学を経て帰国。
帰国後、日本女子大学校の教授、日本婦人平和協会理事長などを務め、1931年(昭和6年)には日本女子大学の第4代学長に就任しています。
浅子の女子教育への想いを継いだ
また、秀は浅子が晩年に御殿場の別荘で開催していた夏期講習会にも講師として参加しています。この講習会には後に政治家として活躍する若き日の市川房枝や、「花子とアン」の翻訳で知られる村岡花子らも参加していました。
広岡浅子と出会ったことで大きな飛躍を遂げた井上秀。浅子にとっても、秀は自身が力を入れていた女子高等教育の実践者であり、その想いを継ぐ大切な「後継者」の一人だったといえます。