NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する教育者・成澤泉(瀬戸康史)が書いた教育論の草稿「女子ノ教育ニ就イテ(じょしのきょういくについて)」についてまとめます。
この著書にはモデルとなっている本がありますので、その書物の内容についてもまとめます。
成澤泉「女子ノ教育ニ就イテ」に感涙
日清戦争が勃発した頃、ヨレヨレのボロを身に纏った厄介そうな男が加野銀行にやってきます。その男・成澤泉は、あさ(波瑠)に対し女子大学校の設立に協力をして欲しいと熱烈にオファーを行ないます。
あさは自身の忙しさに加え、成澤が大事業が出来る人間には到底思えないとして、このオファーを断ります。しかし、成澤がその時に置いていった自著の草稿「女子ノ教育ニ就イテ」を読んだあさはその理念に感涙。すぐに成澤に対し全面協力を約束することになります。
「女子ノ教育ニ就イテ」のモデルは「女子教育」か
この成澤泉の著書「女子ノ教育ニ就イテ」には、モデルとなっていると思われる実在の教育書が存在します。
成澤泉のモデル人物である教育者・成瀬仁蔵が、広岡浅子との対面の際に渡したとされる自著「女子教育」(1896年に出版)がそれです。
浅子はこの「女子教育」を読了すると大きく感動し、すぐに成瀬が希望している女子大学校設立への惜しみない協力を買って出ます。
成瀬仁蔵著「女子教育」の内容とは?
浅子の心を動かした成瀬仁蔵著「女子教育」は、これからの女子に高等教育機関が必要な理由を、以下の要点を柱として説いたものでした。
・女子に人格を与えるべき
成瀬は、それまでの儒教的な教育書が言及する戒律的な条項(父母に従う、多言は慎むといった抑圧的なもの)で女子を縛り付けるようなやり方ではなく、女子教育の目的を「女子の人格形成」に置くことを主張。
女子に対しても男子と同等の「人格」を持たせるべきだとし、その出発点として、女子に対しても大学教育の門戸を開き、男子と同じように学位、教育を与えるべきだとした。
・日本の女子高等教育の後進性を指摘
外国では女子の入学を許可している男女混合の大学が多数あるのに対し、日本は「野蛮国」に等しいお粗末な現状であると指摘。
・女子を「婦人」として教育する
ただ男子と同等に女子に対し教育を与えるだけではなく、「良妻賢母」という言葉があるように、一人の女性として、「良き妻」「良き母」となるための教育もまた必要だと主張。
・女子を「国民」として教育する
教育を与えられた女子は、その能力、教養を自らの利のためのみに利用するのではなく、社会に還元すべきであると成瀬は考えた。社会に貢献する女性を育成することが、ひいては日本の国力向上につながると主張。
先進的で具体的な内容
以上のように、成瀬はまず「女子に人格を与え」、「良き婦人としても育成」し、「国民の一員としても教育」するという三つの柱を立て、女子高等教育の重要性を説きました。
著書「女子教育」ではこれらの考えに基づき、「智育」「徳育」「体育」という三つの面から女子の形成が考えられ、女子大学校で設置すべき学部や教育科目などについても、具体的で詳細な言及がなされています。
当時の日本女子教育の問題点、進むべき道を先進的な考えで綴った同書を読み、広岡浅子は大いに感激するのです。
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