NHK連続テレビ小説「スカーレット」より。大阪の荒木荘で働き始めた喜美子は、始めてもらうお給料が「1,000円」という安さであることに落胆します。
この「月給1,000円」が当時の給与相場と比べてどの程度なのか、現在でいうとどのくらいの収入にあたるのかについて考えてみます。
「荒木荘」初めてのお給料は千円!
初任給1万円という破格の待遇だった丸熊陶業への就職が消えてしまった喜美子。気を取り直して大阪の下宿「荒木屋」で働き始めたものの、初月給が「1,000円」と知り、すっかり落ち込んでしまいます。
喜美子は前任者・大久保のぶ子の仕事を引き継ぐ立場であり、一人前になるまでは「見習い」として薄給に耐えなければならないのです。
以下、喜美子が荒木荘で働き始めた「昭和28年(1953年)」当時の初任給の水準をまとめてみます。
昭和28年当時の給与水準は?
「戦後値段史年表」(朝日文庫)によれば、昭和28年当時の初任給(月給)は以下のようになっています。
・国家公務員の初任給(大卒)…7,650円 ※昭和27年
・小学校教員の初任給…5,850円 ※昭和27年
・銀行の初任給(第一銀行水準)…6,000円
当時の大卒社会人(割とエリート層)の初任給は、おおよそ6,000円前後だったとされます。
中学を卒業したばかり、しかもまだまだ社会進出の道が整っていなかった女性であることを考えると、丸熊陶業でもらえるはずだった初任給1万円というのがいかに破格であったかがわかります。
・【スカーレット】丸熊陶業の初任給1万円は破格?昭和28年当時の給与水準、物価まとめ
小学校の先生の6分の1→現在の3万円ちょっと?
荒木荘の初任給1,000円は、当時の小学校教員、銀行員の初任給(約6,000円)のおよそ6分の1。
少し大雑把な相対的な計算になりますが、令和現在の小学校教員の初任給(手取り)がおおよそ20万円ですので、喜美子がもらった初任給1,000円は、現在の感覚で33,000円程度ということになってしまいます。
当時の物価、金銭感覚
もう少し掘り下げて、消費者物価指数や当時の物の値段などもまとめておきます。
明治33年を1.00とした消費者物価指数は、昭和28年は613.5。令和現在とほぼ同水準である平成15年の同消費者物価指数は3844.4であり、昭和28年の約6.3倍になっています。
つまり、喜美子が昭和28年にもらった初任給1,000円は、消費者物価指数から単純計算で考えると現在の6,300円ほどということになります。安いですねー。
消費者物価指数だけでは当時の物価・金銭感覚は掴みづらいので、昭和28年当時の物の値段を列挙してみます。
昭和28年の物の値段
・蕎麦(もり、かけ)…20円
・京都市電 乗車賃…13円
・銭湯入浴料(東京)…15円
・週刊誌…30円 ※昭和26年
・映画入場料…100円 ※昭和29年
・理髪料(東京・大人)…140円・大学授業料(早大文科・一年分)…20,000円
・下宿料金(東京本郷・4〜6畳、3食付)…5,000円(参考:喜美子が大久保のぶ子からやらされたストッキングの修繕代は1足12円)
物によってバラツキはありますが、日常生活における物の値段はおおよそ現在の20分の1〜30分の1程度でしょうか。そう考えると、喜美子の初任給1,000円=現在の2〜3万円くらいの感覚といったところでしょう。この記事の最初で導き出した「33,000円程度」という金額とだいたい一致しますね。
部屋と賄い付きの女中生活とはいえ、実家に仕送りをしなけらばならない喜美子の立場としては、まったくもって足りない金額と言えそう。
そんなわけで喜美子は、ちや子が勤める「デイリー大阪」から5倍の給料での転職オファーをもらうと、思わず飛びつきかけて…。
▼この記事は「戦後値段史年表」を参考にしています。戦後の「物の値段」がズラーッと並び、見ているだけで楽しいです。