NHK連続テレビ小説「花子とアン」第18週(7月28日〜8月2日放送)より。
時は大正12年(1923年)9月1日午前11時58分。南関東を中心としたいわゆる「関東大震災」が発生します。「花子とアン」の世界も、未曾有の大災害により状況が一変します。
この記事では、関東大震災発生当時にドラマの登場人物がどこで何をしていたのか、それに、それぞれの登場人物のモデルとなった人物の史実での安否をまとめます。
村岡花子(吉高由里子)
大森(現・大田区中央)の自宅に長男・歩、義父・村岡平祐(中原丈雄)と共におり無事。当時の大森付近は東京郊外の田園地帯であり、被害は少なかった。震災発生後は親とはぐれてしまった近所の子供たちに童話を聞かせる。
史実でも花子は大森の自宅に居り無事。
村岡英治(鈴木亮平)
銀座の村岡印刷にいたが無事。地震により会社のビルは倒壊した。無事だった従業員を帰してから、徒歩にて夜に大森の自宅(銀座から10kmほど)に帰宅。
史実でも儆三(英治のモデル)は銀座の会社に居て無事。従業員や教文館の顔見知りらと様子を見た後、大森の自宅まで歩いて帰宅。到着は夜9時を過ぎていた。
儆三はその後横浜まで足を運び、福音印刷の壊滅、弟・斎の死亡を確認している。
村岡郁弥(町田啓太)
銀座のカフェードミンゴでかよ(黒木華)にプロポーズした直後に被災。カフェードミンゴ周辺は大きな被害を受け、郁弥も火災から逃れられずに死亡。築地でかよによって埋葬が見届けられる。かよの手元には腕時計のみが残った。
史実では、村岡斎(郁弥のモデル)は福音印刷・横浜本社にて被災。赤レンガの建物が倒壊し、職工70人とともに死亡。斎が愛用していた腕時計のみが見つかった。
斎は前年に兄と共に父から会社を引き継ぎ、常務取締役となったばかり。妻・巴(ともえ)との間には長男・創(はじめ)が生まれたばかりだった。
安東かよ(黒木華)
銀座のカフェードミンゴに勤務中だったが、郁弥(町田啓太)からのプロポーズを受け、恥ずかしさの余り屋外へ逃亡。一時行方不明になるが探しに向かった英治により発見され大森へ。郁弥を失ったショックで憔悴しきっていた。
史実では「かよ」に相当する花子の姉妹は居ない(花子は長女。次女「千代」は北海道に嫁ぎ、三女「梅子」は北海道に開拓民として奉公に、四女「雪」は静岡の農家に嫁いでいる)。
なお、史実の郁弥の妻・巴は平吉(村岡父)の朋友である西村氏(三共製薬創業者の一人)の令嬢であり、かよとは無関係。
葉山(嘉納)蓮子(仲間由紀恵)
幽閉されていた葉山家におり無事。お屋敷の造りは強固だったようで、被害は軽微だった。
葉山家では使用人が混乱に乗じて金目のものを持って逃亡し乳母も逃げたため、赤子・純平が蓮子の手元に戻る。龍一が心配して葉山家に訪ねるが、兄の「好きにしろ」という発言もあり、ようやく親子三人での生活が許される。
史実での柳原白蓮(蓮子のモデル)は、震災時には東京・お茶の水の中野家に預けられていた。炎上する中野邸から逃れ、駒込の松平邸に避難している。震災を機に、別れ別れになっていた白蓮、龍介、香織(長男)の一家三人が再会。「白蓮事件」から二年が経っていた。
村岡平祐(中原丈雄)
村岡印刷の実質的経営を息子二人に譲っており、隠居の身。当日は大森に花子と歩を訪ねていた。地震により近隣の建物の倒壊に巻き込まれるが無事。
史実の村岡パパ・平吉は大震災の前年、大正11年(1922年)に70歳で穏やかに生涯を閉じている。「福音印刷」の経営権を無事に息子二人(儆三、斎)に譲ってから間もなくのことだった。享年70。
醍醐亜矢子(高梨臨)
無事。震災後しばらくして、炊き出しをしている花子たちの元へやって来る。近所の女の子たちに「女の子は綺麗なものを見ると元気が出るんですもの」と言ってリボンを配る。
安東吉太郎(賀来賢人)
無事。震災後、救援活動に携わるために大森の村岡家に顔を出す。
梶原編集長(藤本隆宏)
醍醐さんによって無事が報告される。聡文堂は建物が倒壊、本や原稿も焼けてしまった。
宇田川満代(山田真歩)
いまのところ詳細不明。
ブラックバーン校長(トーディ・クラーク)ら修和女学校関係者
第19週の予告編に登場していることから、無事だと思われる。
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