NHK連続テレビ小説「マッサン」第13週(2024年12月22日〜27日)より。鴨居商店山崎工場の完成から三年の月日が流れましたが、一向に製品が出荷されないウイスキー事業に対し、社員から不満の声があがります。
鴨居商店、「モーントビール横浜工場」買収へ
時は1928年(昭和3年)。かつて「太陽ワイン」の大ヒットで大きな利益を得ていた鴨居商店でしたが、折からの原材料費の高騰、太陽ワインの売り上げの低迷もあり、すっかり資金繰りが苦しくなっています。
鴨居商店首脳陣からは、金を食うばかりで一向に利益に貢献しないウイスキー事業に対し、中止を求める声があがります。この苦しい状況に対し鴨居欣次郎(堤真一)が提案したのが、経営が破綻して売りに出されていた「モーントビール横浜工場」の買収案でした。
「太陽ビール」を第二の看板商品に!
ウイスキー事業とは違い足回りが早いビール事業は、「太陽ワイン」とともに即戦力の収入源として期待出来る…。宣伝部の紺野(成河)らは鴨居の提案に色めき立ちます。
鴨居は新しく発売されるであろうビールを「太陽ビール」と名付け、大手三社に独占されている国内のビール市場に殴り込みをかけようとしていたのです。
竹鶴政孝が工場長を務めたビール工場「旧日英醸造工場」
ここからは史実のお話です。
鴨居商店のモデル・寿屋(後のサントリー)も、竹鶴政孝が手がけたウイスキー事業が軌道に乗るまでの間、多角経営に乗り出して社の苦境を乗り切ろうとしました。寿屋は「スモカ歯磨」「トリスカレー」「トリス胡椒」「トリスソース」などの商品を次々と手がけ、昭和三年には競売に出された「日英醸造」の横浜ビール工場を買収します。
竹鶴はこの横浜工場の工場長に任命(山崎工場と兼任)され、ウイスキー事業に専念できない苦しい時期を過ごしています。
「オラガビール」発売!しかし…
寿屋は昭和四年に「新カスケードビール」を発売。昭和五年に「オラガビール(oragabeer)」と名称を改め(ラガービールと、当時の流行語”オラガ大将”をモジった)、大阪商人らしい廉価商法で市場のシェアを奪い取ろうと目論みました。
しかし、当時の日本国内のビール市場は「日本麦酒(ヱビス、アサヒ、サッポロ)」「麒麟麦酒(キリンビール)」「日本麦酒鉱泉(ユニオンビール、三ツ矢サイダー)」の三社によりほぼ独占されており、寿屋はその牙城を崩せず。
結局、寿屋は横浜工場買収から五年後、同工場の拡張工事を行なった矢先に、当初買い取り額の約五倍の額でこの工場を売却します。鳥井信治郎(鴨居欣次郎のモデル)はこの売却を喜んだそうですが、拡張工事の陣頭指揮に当たっていた竹鶴に買収の相談は持ちかけておらず、この出来事が二人の間に遺恨を残すことになります。
横浜・鶴見に残っていた日英醸造(オラガビール)工場跡
この「日英醸造横浜工場」(神奈川県横浜市鶴見区元宮2丁目1)は、2008年頃まで当時の建物が現存していたようです。地元ではこの建物は取り壊されるまで「オラガビール工場」などと呼ばれていたようです。
こちらのサイトに取り壊し前の廃墟状態の工場の様子が掲載されています。これは本当に貴重な記録。これを見ると操業時の機械類がそのまま残り、「オラガビール」のポスターも壁に残されており、時が止まっていたかのようです。
▼日英醸造工場は恐らくこの近辺にあったものと思われます(番地は違うかも知れません…)。 現在は商業施設(ベルク)、スパ(RAKU SPA)などが新しく建設されているようです。
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