マッサンが寿屋を退職した理由 ドラマでも鴨居商店と決別へ…

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NHK連続テレビ小説「マッサン」主人公のモデルであるニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。竹鶴は北海道に渡り大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を設立する前に、大阪の寿屋(後のサントリー。ドラマでは鴨居商店)に勤めていました。

この記事では、竹鶴政孝が寿屋を退社した理由をまとめます。

※この文章は「ヒゲのウヰスキー誕生す」(新潮文庫)を参考に書かれています。

竹鶴政孝・寿屋の入社条件 とりあえず十年働く

竹鶴政孝は最初に就職した大阪の摂津酒造(ドラマでは住吉酒造)を退職した後、浪人期間を経て鳥井信治郎(サントリー創業者)から懇願される形で寿屋に入社しています。

その際の入社条件は、
・ウイスキー製造に関しては全て竹鶴に一任する
・そのための資金は用意する
・ウイスキー製造が軌道に乗るまで十年間は働くこと
でした。

鳥井と竹鶴の理念の違い くすぶる想い

竹鶴は寿屋入社後、山崎工場の建設、国産初のウイスキー「白札サントリー」の製造に携わるなど、同社のウイスキー事業の基礎をつくりあげました。しかし、入社から八年が過ぎた頃には、自身が持つウヰスキーの理想像と会社の描く方針とのギャップを痛感していました。

ドラマ「マッサン」でも描かれている通り、「売れるもの」「日本人の口に合うもの」を追求する鳥井(鴨居)と、本場スコットランドの製法を忠実に守るウイスキーをつくりたい竹鶴(亀山)とは、そもそもが相容れない存在だったのです。

ビール工場転売の顛末 独立のきっかけ

そんな竹鶴が寿屋を離れる大きなキッカケとなったのが、任されていたビール工場の転売に関する顛末でした。昭和3年、寿屋は「日英醸造」から横浜・鶴見区のビール工場を買い取り、ビール事業を手がけ始めます。まだ軌道に乗っていないウイスキー事業の赤字を補う意味もあっての事業拡大でした。

竹鶴は山崎蒸溜所とビール工場の工場長を兼任し(実質ビール工場にかかりきりになっていた)、なんとか社の経営状態が改善するように奮闘をしていました。昭和8年には決して成功しているとは言えなかったこのビール工場に、本社から拡張工事の命令が出ます。竹鶴は工事の陣頭指揮に立ちますが、ある日、ビール工場の売却話(大きな利益が出る条件)が水面下で進んでいることを知ります。

竹鶴はウイスキー事業を守るための工場売却、利益確保には理解を示したものの、工場長である自分に何の話もなく売却話を進めていた鳥井に対し、一抹の寂しさを覚えたようです。所詮、寿屋では一介の技術者に過ぎないという自分の立場を痛感した竹鶴は、いよいよ独立の時期が来たと感じたのです。

弟子の吉太郎も独り立ちし、寿屋退職

竹鶴は当初の約束どおり寿屋で十年間勤め上げ、ウイスキー事業の基礎がある程度整ったこと、竹鶴に弟子入りしていた鳥井の長男・吉太郎(鴨居英一郎のモデル)がすでに副社長に就任していたことなどから、自身の寿屋での役割は終わったと考え、昭和9年に寿屋を退職します。

そして、念願だった理想のウイスキー作りを夢見て、北海道へと向かうのです。

ドラマでは…

ドラマ「マッサン」でも、マッサンは年明け早々の放送(1月上旬放送分あたり)で鴨居欣次郎と決別します。

マッサンは鴨居商店のためにスモーキーフレーバー(ピート香)を無くしたウイスキーを完成させるのですが、その無理がたたって過労でダウンしてしまいます。これ以上鴨居商店で本心を偽って働くことは困難だと悟ったマッサンは鴨居商店を退職。いよいよ北海道へと向かいます。

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