「風、薫る」直美が派出看護会を設立 モデルは慈善看護婦会

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NHK連続テレビ小説「風、薫る」第18週では、大家直美がさまざまな思いを胸に派出看護の会の設立を進めていくことになります。直美は大山捨松や清水卯三郎らと相談を重ね、ついに派出看護会を設立することになります。

このエピソードは、直美のモデルである鈴木雅が私財を投入して慈善看護婦会を設立した史実がモデルになっていると考えられます。

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目次

【風、薫る】直美の新たな夢 派出看護会設立へ

実の母である柳川文(内田慈)を在宅看護の末に見送った直美(上坂樹里)。

直美はかつて、貧乏長屋の住人・大家トヨ(松金よね子)を病院に通わせてあげられずに亡くす経験もしており、お金がない病人でも看護を受けられる派出看護婦の必要性を感じていくようです。

直美は、大山捨松(多部未華子)や清水卯三郎(坂東彌十郎)らに相談し、派出看護婦会の設立準備を開始。ついに帝都医大病院を辞職して、慈善色(※)の強い派出看護会を設立します。
(※)派遣先の患者の経済事情ごとに看護報酬のグレードを「松竹梅」に分け、「松」で得た報酬を使って「梅」の患者に無償で看護を提供するというビジネスプラン。アメリカの事情に詳しい大山捨松の提案。

直美が立ち上げた派出看護会には、看護学校時代の仲間で結婚のために看護婦の道を諦めていたしのぶ(木越明)も合流し、いよいよ最初の派遣先からの依頼を受けますが…。

※派出看護婦会設立のための資金は、実母・柳川文が直美に遺してくれた遺産が使われます。後述しますが、直美のモデル・鈴木雅は最初の派出看護婦会である慈善看護婦会を設立する際に、亡き夫の遺産と恩給を資金源としています。

【史実モデル】鈴木雅が設立した慈善看護婦会 慈善的なビジネスモデル

「風、薫る」で直美が派出看護婦会を設立するエピソードは、直美のモデル人物である鈴木雅が1891(明治24)年に立ち上げた日本初の派出看護婦会「慈善看護婦会」がモチーフになっています。

盟友である大関和(一ノ瀬りんのモデル)が新潟・高田で新設された知命堂病院の看護婦として働き始めたのと同じ頃、鈴木雅はこの慈善看護婦会を設立しています。

同会設立の少し前、鈴木雅は恩師であるマリア・トゥルーに従い留学のためにアメリカに渡ろうとしていました。しかし雅は、横浜港から船に乗る直前にアメリカ人医師であるウィリアム・ブレイズが乗る人力車に撥ねられてしまいます。

幸い鈴木雅は軽症でしたが、ウィリアム・ブレイズ医師が横浜の貧民窟で発生した天然痘患者の対応に向かっていたことを知ると、自らも同行を志願(※鈴木雅はすでに種痘を接種済みだった)。結局鈴木雅はアメリカ行きをキャンセルし、そのまま貧民窟で天然痘患者たちの看護に奔走しています。

鈴木雅はこの貧民窟で見た惨状をキッカケに、自らが本当にやりたいことが慈善看護であると確信。病院にかかることが出来ない患者のもとに出向き、必要な看護を届ける慈善的な派遣看護婦会の設立を決意しています。

鈴木雅は東京帝国大学医科大学附属第一医院時代に自らが教えた若い看護婦たちを集め、亡き夫・鈴木良文(元陸軍少佐)の遺産と恩給を元手に「慈善看護婦会」を設立。

裕福な派遣依頼先からは少し高めの報酬をもらい(一等看護報酬:1日70銭)、貧しい人からはお金をもらわずに無料診療を行うというビジネスプランを掲げ、慈善看護婦会は運営をスタートさせています。

※この時、慈善看護婦会に参加した若い看護婦の中に「風、薫る」三浦ツヤ(東野絢香)のモデルと思われる武藤ミネもいました。看病婦の仕事と学業を両立できずに帝都医大病院を辞めていったツヤが、史実同様に直美が設立した派出看護婦会に参加するのではないかと予想します。

【史実モデル】後に東京看護婦会と改称 エース・大関和が参加し大人気に

大病院の医師に従うだけでなく、看護婦が主体的に働ける職場を作りたい。貧しく病院にかかれない患者のもとへと出向き、必要であれば医者へとつなぐような派出看護婦会を作りたい…。

大きな理念を胸に慈善看護婦会を設立した鈴木雅でしたが、やはり事業として継続的に無償看護を続けていくことは難しかったようです。

やがて鈴木雅は慈善看護婦会から「慈善」の文字を消した東京看護婦会を設立。忸怩たる思いで無償による看護の提供を停止し、有償のみの看護を取り扱う新たな派出看護婦会へと事業を鞍替えしています。

鈴木雅は、この東京看護婦会に盟友の大関和を誘うと、大関和は5年半にわたる新潟・高田での生活に別れを告げて東京看護婦会に合流。

新潟・知命堂病院で看護婦としての経験をさらに重ねていた大関和は、東京看護婦会のエース看護婦として派遣先の有力者らから称賛を受けると、それに呼応して東京看護婦会の評判もうなぎ登りになり経営が軌道に乗ります。

こうして東京看護婦会はビジネスとして採算がとれるようになり、鈴木雅が念願としていた慈善看護も再開されていきます。

「風、薫る」でも直美が立ち上げた派出看護会にりんが合流する未来がありそうです。

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