NHK連続テレビ小説「あさが来た」は、第二週からは時代が4年進み、1865年(元治2年、慶応元年)に移ります。この年の春に、あさ(波瑠)とはつ(宮﨑あおい)は嫁入りをすることが決まります。この記事では、あさが結婚する年齢、時代等についてまとめます。
第二週では、二人が嫁入りをするまでの準備、葛藤の日々が丁寧に描かれます。当初、あさとはつは1865年春の同時期に嫁入りをする予定でしたが、あさの嫁ぎ先である白岡家で長男・正太郎(木内義一)が急逝したために、あさの嫁入りは半年間先延ばしになります。
あさの嫁入り時は15〜16歳か 新次郎は26〜27歳
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NHKの公式発表によれば、あさの生年はモデルの広岡浅子と同じ1849年(嘉永2年)。広岡浅子は1849年9月3日生まれであることから、これをそのままドラマのあさに当てはめると、嫁入りする1865年秋当時、あさは16歳(または9月の誕生日前であれば15歳)ということになります。
夫となる新次郎はドラマ上の設定では11歳年上ですので、結婚時には26歳〜27歳ということになります。
広岡浅子は数え17歳で結婚 姉・春は6日後に
史実では、広岡浅子は1865年(元治2年)4月3日に加島屋の広岡信五郎と結婚をしています。この時、浅子は数え年で17歳。現在の実年齢でいうと15歳ということになります。信五郎は8歳年上だったので、結婚時の実年齢は23歳前後ということになります。
ちなみに、ドラマでは姉・はつが半年前に嫁入りすることになっていますが、史実ではモデルである広岡浅子の異母姉・春は1865年(慶應元年※この年の4月7日に元治から改元)4月9日、つまり浅子の6日後に婚儀が行われ、天王寺屋五兵衛と結婚しています。
浅子は数え20歳で維新を迎える
元号が”元治”から「江戸時代最後」となる”慶應”に改元された1865年。いよいよ明治時代(1868〜)が3年後に迫り、世の中の動きが急速に慌ただしくなる時期です。前年には池田屋事件、禁門の変、長州征討が発生し、翌年には薩長同盟が締結され、1867年にはついに大政奉還、王政復古の大号令が宣言されます。
広岡浅子は20歳(数え年)で明治維新を迎えます。心身ともに充実したこの時期、嫁ぎ先である加島屋の危機を救うため、本格的に実業界に身を投じるようになるのです。
「あさが来た」でも、こうした時代背景、御家事情は踏襲される模様です。