NHK連続テレビ小説「あさが来た」は、幕末に生まれ明治、大正期を駆け抜けた女性実業家・広岡浅子がモデルとなっています。
この記事では、同じく「時代物」として人気を博した朝ドラ「ごちそうさん」「花子とアン」「マッサン」の主人公たちの生きた時代と、あさが生きた時代との比較をしてみます。
生年、没年比較
まずは、史実を元に主人公たちの生まれた年、亡くなった年を時代順にまとめてみます。(※「ごちそうさん」のみ、オリジナルキャラクターでモデルなし)
・白岡あさ(広岡浅子)=あさが来た
1849年(嘉永2年)生まれ、1919年(大正8年)没
・安東はな(村岡花子)=花子とアン
1893年(明治26年)生まれ、1968年(昭和43年)没
・亀山政春(竹鶴政孝)=マッサン
1894年(明治27年)生まれ、1979年(昭和54年)没
・卯野め以子=ごちそうさん
1905年(明治38年)生まれ、没年不明
※オマケ
・嘉納伝助(伊藤伝右衛門)=花子とアン
1861年(万延元年)生まれ、1947年(昭和22年)没
あさ、伝助が同時代。花子、マッサンは少し後
これによれば、あさが生まれて12年後に嘉納伝助が、44年後に花子が、45年後にマッサンが、56年後にめ以子が生まれたことになります。あさは主に明治期に、伝助は明治から大正かけて、花子とマッサンは大正から昭和にかけて活躍しており、多少時代にズレがあります。
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・「あさが来た」明治時代のウイスキー事情 マッサンとの時代比較
交流があった広岡浅子と村岡花子
この中で、広岡浅子と明確な交流があったのが村岡花子(44歳差)です。浅子は亡くなる5年ほど前の1914年(大正3年)頃から毎夏、次代を担うであろう若い女性(市川房枝、井上秀、村岡花子ら)を御殿場の別荘に集め、「勉強会」を開いていました。この時の浅子はすでに60歳を超えており、一方の村岡花子はまだ事を成し遂げる前の20代でした。
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広岡浅子と伊藤伝右衛門 ともに筑豊で炭鉱業
また、広岡浅子と伊藤伝右衛門(12歳差)も同時代を過ごしています。
浅子が筑前(現在の飯塚市)の潤野炭坑を買収したのが1886年(明治19年)、売却したのが1899年(明治32年)のこと。同じく現・飯塚市内で炭鉱事業を手がけた伊藤伝右衛門が「石炭王」へと歩み始めるのが明治20年代から30年代後半にかけてでしたので、二人は同時期、同地域で炭鉱業に携わっていたことになります。
浅子の潤野炭鉱と伊藤伝右衛門が所有していた炭鉱は近所であり、当然ながら互いに面識(あるいは互いの存在程度は知っていた)があったものと思われます。
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