NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場する「白岡家(しろおかけ)」「加野屋(かのや)」についてまとめます。
あさが嫁ぐ当時の「加野屋」の現状
あさが嫁ぐことが決まっている「加野屋」は、大坂でも有数の両替屋です。「加野屋」はいわゆる屋号であり、あさが嫁ぐ家は「白岡家」です。
「加野屋」には現当主・白岡正吉(近藤正臣)のもとに三人の息子がいます。長男・正太郎(木内義一)、次男・新次郎(玉木宏)、そして三男・榮三郎(吉田八起)。家業は有能な長男・正太郎が継ぐ予定で、商いに興味がない次男の新次郎は三味線遊びに興じているという状況です。
幕末の混乱期、あさが商才を発揮し始める
江戸時代を通じて両替商として繁栄してきた名門「加野屋」でしたが、幕末から明治維新の時代に向けて、次から次へと危機を迎えることになります。
長男・正太郎の病没による後継者問題にはじまり、新選組(幕府側)からの資金貸付けの強要、諸大名へ貸していた多額の貸付金の焦げ付き、明治新政府への莫大な金額の資金提供、そして銀目廃止による大阪市民の現金化要求の殺到。
かつては潤沢な資金を有していた加野屋の蔵の中も、やがてすっからかんとなり、ついには借金をしてまで急場をしのがなくてはならない状況に陥ります。
こうした加野屋の御家の危機に立ち上がったのが、ヒロインのあさでした。夫・新次郎が三味線遊びに興じて当てにならない状況で、あさは加野屋の危機感を肌で感じ、少しずつ行動を起こすようになります。当主(義父)・正吉もあさの商才を認めるようになり、やがてあさが加野屋の屋台骨を支えていくようになるのです。
時代の波に消えた豪商、残った豪商
幕末当時、大坂には加野屋の他にも数多くの名門両替商が存在しました。はつ(宮﨑あおい)が嫁いだ山王寺屋も、そうした豪商のひとつでした。加野屋はあさの機転もあり幕末・維新期の危機を脱するのですが、山王寺屋を含めた多くの両替屋はこの時期に倒産、廃業してしまいます。
加野屋も当面の危機は乗り切ったものの、もはや両替商という古い商いだけではやっていけないとあさは悟り、やがて炭鉱業など新しい商いにチャレンジしていくことになります。
次の記事「【あさが来た】「加野屋」のモデル・加島屋 その歴史、関連企業とは」では、加野屋のモデルとなった「加島屋(かじまや)」についてまとめます。加島屋に嫁いだ広岡浅子(あさのモデル)の活躍もあって、加島屋は明治期に大躍進を遂げ、現在も残る企業を立ち上げます。
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