【あさが来た】田村宜(のぶ)が「日の出女子大学校」に入学 モデル・井上秀のその後の人生は

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」第24週(3月14日〜)より。この週の放送において、あさ(波瑠)のもとで修行中だった田村宜(吉岡里帆)が、一期生として「日の出女子大学」に通うことが決まります。

宜のモデルとなっている家政学者・井上秀も日本女子大学校の一期生となっていますので、そのあたりの経緯も併せてまとめます。

宜の人生が動き出す

京都・白川高等女学校時代から、読書や勉学が大好きだった田村宜(たむら・のぶ)。寄宿舎で親友となった千代(小芝風花)との縁もあり、あさの秘書見習いとして働き始めていましたが、将来進むべき道がはっきりと決まっていたわけではありませんでした。

そんな宜の人生を大きく変えていくことになりそうな提案が、成澤泉(瀬戸康史)からなされます。成澤は、設立が決まった「日の出女子大学校」の一期生として学んでみないかと宜に声をかけるのです。

これを聞いた宜は大喜び。宜は、娘の早い結婚を望んでいた母・フナ(高橋由美子)から反対を受けるものの、あさの説得もあり晴れて日の出女子大学校一期生として入学することになります。

日本女子大学校一期生・井上秀

宜の女子大学校入学のエピソードは、モデルとなっている日本女子大学第4代校長で教育者の井上秀(いのうえ・ひで)の歩んだ道が参考になっています。

京都府立第一高等女学校時代に広岡浅子の娘・亀子と親友になった秀は、20歳で足立雅二(韓国総督府につとめた)と結婚して娘をもうけた後に、広岡家との縁もあり一期生として日本女子大学校(日の出女子大学校のモデル)家政学部に入学しています。

アメリカ留学 家政学、婦人問題を研究

同大学校を卒業後は同大学校附属高等女学校の教諭となり、32歳の時にコロンビア師範大学(家政学)に学ぶために日本を離れています。家政学を一年専攻した後にはシカゴ大学に学び、社会学や経済学の立場から女性、婦人問題の研究を進めています。

その後欧州遊学などを経て帰国した秀は、日本女子大学校の教授として迎え入れられています。当時、家政学や婦人問題の分野でも最先端だったアメリカ、欧州諸国を見て回った秀の経験は、明治・大正期の日本において貴重なモノだったことでしょう。

日本女子大学校長 日本婦人平和協会理事長

その後、家政学者として日本国内の生活や家政学の向上に貢献しながら、大正11年には日本婦人平和協会理事長に就任し、ワシントンで開催された「世界婦人軍縮会議」に出席。昭和6年には日本女子大学第4代校長に就任(戦後まで務めた)するなど、日本における女性教育者の先駈けとして足跡を残し、昭和36年には藍綬褒賞を受章しています。

井上秀がこれほどの功績を遺したのも、広岡浅子、亀子親子との出会い、それに日本女子大学校への進学があったからこそ。「あさが来た」第24週で描かれる田村宜と女子大学校との出会いも、重要な意味を持つ場面となりそうです。

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