「あさが来た」に登場する平塚らいてう 日本女子大学校卒業後の足跡

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この記事は、「【あさが来た】大島優子が演じる平塚らいてう 日の出女子大学校・学生として登場」からの続きです。

平塚らいてう(ひらつか・らいちょう)が日本女子大学校を卒業後に辿った足跡を簡単にまとめます。

「青鞜」の創刊、スキャンダル


▲何かと世間の注目を集めた平塚らいてう。
画像はWikipediaより転載(パブリックドメイン)。

平塚らいてうは日本女子大学校を卒業後、二松学舎(現・二松学舎大学)、女子英学塾(現・津田塾大学)、成美女学校で学ぶと文学に目覚め、生田長江、与謝野晶子らの指導で短歌や小説を書き始めます。

作家・森田草平とのスキャンダル(雪の塩原への逃避行。新聞は心中未遂と大々的に報じる)などもありましたが、明治44年(1911年)には日本初の女性文芸誌「青鞜(せいとう)」を創刊させています(らいてうがうたいあげた「元始、女性は実に太陽であった」の発刊の辞で有名)。

らいてうの一連の活動、発言は「新しい女」(読売新聞上で同名の連載も行なっていた)の登場に対する周囲の反感を買い、世間から大バッシングを受けることになります。こうした「女性への抑圧」の存在を感じるようになると、「青鞜」は次第に女性文芸誌から女性解放誌へと進展していきます。

婦人、女性解放運動に傾倒

らいてうは、「婦人参政権運動」と「母性の保護」を要求し、女性の政治、社会的自由を確立させようとした日本初の婦人運動団体「新婦人協会」(大正8年設立。市川房枝らが協力。)を設立するなど、女性解放運動に邁進。

戦後は日本共産党の同伴者として活動し、世界連邦建設同盟への参加、日本婦人団体連合会初代会長、国際民主婦人連盟副会長を務めるなど、婦人活動、平和運動のシンボル的な存在となっています。

奥村博史と「事実婚」 子供は二人

なお、らいてうは大正元年(1912年)頃に5歳年下の画家志望学生・奥村博史と出会い、共同生活に入っています。らいてうは法律による結婚を拒否し(入籍せず事実婚)、「独立するについて両親に」という私信を「青鞜」上で発表しています。

こうした行動は、らいてうが従来の「結婚」「家」制度を良しとしなかったことが理由のようで、平塚家から分家して戸主となり、二人の子供(長男、長女)を「私生児」として自らの戸籍に入れています。

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