NHK連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・白岡あさ(波瑠)のモデルになっている女性実業家・広岡浅子。
この記事では、広岡浅子と夫・信五郎との間に生まれた子供、それに信五郎と妾の間に生まれた子供についてまとめます。
結婚五年、子供が出来ない…姑よののボヤキ
「あさが来た」では、あさがなかなか子宝に恵まれないことに対し、姑・よの(風吹ジュン)がぼやく場面があります。しびれを切らしたよのは新次郎に「妾」を持つことを薦めますが、あさの気持ちを察してか、新次郎はこれを断ります。※この場面は明治3〜4年(1870〜71年)頃の話なので、あさが嫁いでから約5,6年後ということになります。
広岡浅子の一人娘・亀子
あさのモデル、広岡浅子は夫・信五郎(新次郎のモデル)と結婚してから約9年後の明治9年(1876年)、27歳の時に一人娘・亀子を生んでいます。(※ドラマでは亀子は「千代」として登場。演じるのは小芝風花。)
亀子は腰元・小藤に育てられ、浅子とは反対に家庭的な性格に育ちます。亀子は京都府高等女学校(現・府立鴨沂高等学校)を卒業した後に、子爵一柳家の次男・恵三(婿養子として広岡家に迎え入れられた)と結婚しています。ドラマでは恵三は「東柳啓介(工藤阿須加)」として登場します。
浅子の後継者 娘婿・広岡恵三
この婿養子・恵三は東京帝国大学法科出の逸材で、信五郎と浅子の事業継承者となります。恵三は加島銀行頭取、大同生命の2代目社長などを務め、加島屋の屋台骨を長年支えます。浅子は優秀な恵三に加島屋の経営を託すと、次第に女性の地位向上を目指す活動に心血を注ぐようになっていきます。
恵三・亀子夫婦の子供
恵三・亀子夫婦は一男四女(浅子の孫にあたる)に恵まれました。このうち、長男の広岡喜一は後に大同生命取締役を務めています。また、亀子は昭和44年(1969年)に亡くなっていますので、90歳を超えた長寿だったことになります。
(※2015年11月12日号の「週刊文春」に「『あさが来た』ヒロイン 広岡浅子の孫・曾孫が語った」という記事が掲載されていることからも、浅子の子孫は現在も存在するようですね。)
信五郎には妾との間に子供がいた
信五郎と浅子の間に生まれた子は亀子ただ一人でしたが、信五郎は側室(妾)である腰元・小藤(別名:むめ)との間にも一男三女をもうけています。
小藤は浅子のお付きとして三井家からやってきた腰元(浅子の五歳下)で、明治16年から三年続けて女児を、明治21年には男児・松三郎を出産しています。この長男・広岡松三郎は後に大同生命第4代社長を務めています。
▼ドラマの原案となっている「小説 土佐堀川」。読み物として多少の脚色はありますが、広岡浅子の大筋の人生の流れがわかります。
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