NHK連続テレビ小説「あさが来た」第4週に登場する「宇奈山藩(うなやまはん)」についてまとめます。
宇奈山藩は実在した宇和島藩(現在の愛媛県)がモデルと考えられます。
加野屋の多額の貸付金を知る
店の「大福帳」を見たあさ(波瑠)は、加野屋が諸藩に巨額の貸し付けをしており、それら貸付金の回収が滞って加野屋自慢の蔵の千両箱が無くなっていることを知ります。
父・忠興(升毅)から「嫁いだら家を守りなさい。」と厳しく教えられていたあさは、義父・正吉(近藤正臣)に「貸付金の回収に行きたい」と頼み込みます。
何よりも「信用」を大切にしている正吉はこれを渋ります。しかし、付き合いが薄く一度もお金を返済していない「宇奈山藩(うなやまはん)」に目をつけたあさの目の付け所に正吉は感心し、宇奈山藩ならば、とようやく取り立てを許可を出します。
宇奈山藩へ突撃
さっそく息巻いて「宇奈山藩蔵屋敷」(※後述。大坂にある)へと向かい、日参を始めたあさですが、あっさり門前払いを食らいます。あきらめないあさは門前に座り込み、これに困惑した宇奈山藩は、藩士らが寝泊まりする「足軽部屋」へとあさを通します。
この「足軽部屋」は男だらけで、周囲は賭け事や酒盛りに明け暮れるような、少々怖い部屋。しかしあさは臆することなく居座り、ついには小額ながら借金の回収に成功します。
「宇奈山藩」モデルは「宇和島藩」か
この「宇奈山藩」は実在しない藩だと思われますが、以下のエピソードから「宇和島藩」がモデルになっていると思われます。
産経新聞紙上で広岡浅子(あさのモデル)の半生を連載していた石野伸子氏によれば、浅子は結婚三年後、明治維新の頃には加島屋の金策に奔走していたらしく、なかでも(以下引用)
「宇和島藩を訪ねたときは、足軽部屋に追いやられ、いかつい男たちの中で一晩過ごしたそうです。でも浅子の毅然とした態度に、最後には相手も根負けしたとか」
(女性自身より引用 )
とのこと。 この宇和島藩での浅子のエピソードが、ドラマでのストーリーに採用されているものと思われます。
宇奈山藩蔵屋敷=宇和島藩蔵屋敷(大阪)か
ちなみに、「宇奈山藩蔵屋敷」のモデルであろうと思われる「宇和島藩蔵屋敷」は現在の大阪・地下鉄四ツ橋線「肥後橋駅」付近(北区中之島、現在の朝日新聞大阪本社あたり)にありました。
▼PDFのページですが、「宇和島藩蔵屋敷跡」について詳しく書かれています。
http://osaka-siseki.cocolog-nifty.com/blog/files/vol.9%EF%BC%882009-4-12%EF%BC%89-3.pdf
開明的だった宇和島藩 小藩ながら存在感
宇和島藩は現在の愛媛県宇和島市にあった藩で、あの伊達政宗の長男・伊達秀宗(だて・ひでむね=側室の子)が藩祖。
宇和島藩は江戸末期、第8代藩主・伊達宗城(だて・むねなり)の開明的な考えもあり、富国強兵、殖産興業を実施しています。また西洋の学問、文化も積極的に取り入れ、二宮敬作、高野長英、村田蔵六、大村益次郎といった幕末の人物もこの地で活躍しています。
10万石という小大名ながら、後に宗城は外国事務総督など明治新政府の要職を歴任しています。薩長土肥が中心の明治新政府の中で、先進的だった宇和島藩(のちに宇和島県→愛媛県)は確かな存在感を発揮したのです。
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