2014年放送のNHK連続テレビ小説「花子とアン」より。
安東はな(吉高由里子)が働く出版社・聡文堂が社運をかけて創刊する新雑誌「にじいろ」と、目標とする雑誌「赤い鳥」についてまとめます。
聡文堂新雑誌は「にじいろ」 はなが命名
安東はなが第12週現在働いている出版社・聡文堂は梶原編集長(藤本隆宏)が向学館から独立して立ち上げた新しい会社です。聡文堂はまだ目玉となるような出版物を創り上げておらず、新しく創刊する予定の雑誌に社運をかけています。
この新しい雑誌の名前は、はなが会議で提案した「にじいろ」に決定します。梶原いわく、新雑誌は「赤い鳥」を超えるような雑誌にしたいとのこと。
「赤い鳥」は実在した児童雑誌。どのようなものだったのか以下に簡単にまとめてみました。
児童雑誌「赤い鳥」 一流文学者が主旨に賛同
「赤い鳥」は1918年創刊で、童話と童謡を掲載した児童雑誌でした。当時、政府が主導する唱歌や説話が程度の低いものであると考えていた創刊者・鈴木三重吉は、もっと子供の純性を育むような物語や歌を世に広めるべきとの使命から、「赤い鳥」を創刊しました。
創刊号には芥川龍之介(「蜘蛛の糸」「杜子春」など掲載)、有島武郎(「一房の葡萄」など掲載)、泉鏡花、徳田秋声、高浜虚子など蒼々たる文学者達が賛同の声を寄せたほか、後に菊池寛や谷崎潤一郎、小川未明なども同誌に寄稿しており、これら一流作家によって日本の児童文学のレベルが底上げされたと言われています。
また、「ごん狐」で知られる新美南吉などの新しい作家も発掘しており、日本の児童文学を語る上では欠かせない雑誌です。
目白庭園「赤鳥庵」はゆかりの地
▲児童雑誌「赤い鳥」ゆかりの地、目白庭園。比較的新しい庭園ですが、都心にありながら穏やかな時間が流れます。
Photo by: Gemini st.
余談ですが、豊島区立目白庭園には「赤鳥庵」と呼ばれる数寄屋造りの建築物があります。これはこの地で創刊された「赤い鳥」にちなんだそうで(赤い鳥は鈴木三重吉の自宅・北豊島郡高田村大字巣鴨字代地3559=現・豊島区目白3-17-1付近で創刊された)、付近の「千種画廊」前(豊島区目白3-18-6)には「赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡」の看板が見られます。
雑誌「にじいろ」は「赤い鳥」の翌年創刊か
「花子とアン」の第12週の時代は1919年。時系列的にちょうど「赤い鳥」が創刊(1918年)された翌年ということになります。梶原編集長が「赤い鳥」を意識するのも頷(うなず)けます。
聡文堂では新雑誌「にじいろ」の目玉として、今やすっかり売れっ子となった作家・宇田川満代を迎えようと躍起になっています。そして、はなが翻訳を手がける小説も新連載の候補となり、雑誌としての原型が見えてくるようです。