葉山蓮子(白蓮)が詠んだ「寂しさの ありのすさびに〜」の歌の意味とは

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5月28日(水)放送のNHK連続テレビ小説「花子とアン」より。九州へ嫁いだ葉山蓮子(仲間由紀恵)が愛のない生活に嫌気が差し詠んだ「寂しさのありのすさびに〜」という歌について調べました。

嘉納家で孤立を深める蓮子

嘉納家の教育改革のために著名な音楽家を招き、演奏会を開いた蓮子。それもひとえに、嘉納伝助(吉田鋼太郎)ならびに伝助の連れ子の冬子(山岡愛姫)と生活を分かち合いたいからこそ。

しかし、そんな蓮子の気持ちとは裏腹に、伝助は演奏中に煎餅をバリボリと食べ始め、お茶をズズズーッと飲み干します。そんな伝助のマナーの悪さを蓮子はなじりますが、伝助は聞く耳を持たず、またしても芸者の元へと出かけてしまいます。

嘉納家の使用人たちにも陰口を叩かれ続ける蓮子は、ますます拠り所を失い孤立していきます。そして、その気持ちを短歌として詠います。

寂しさの ありのすさびに… 白蓮の心境吐露

「寂しさの ありのすさびに 唯(ただ)ひとり 狂乱を舞ふ 冷たき部屋に 〜白蓮」

この歌は、葉山蓮子のモデルである柳原白蓮が実際に詠った歌です(「踏絵」に収録)。九州の炭坑王・伊藤伝右衛門の元に嫁いだ白蓮は、伊藤家邸宅の全面的改装増築、それに歌人としての活動を金銭的にも後押しされるなど、「お姫様」的な扱いで迎えられます。

しかし、一向に伝右衛門の愛情を感じることが出来なかった白蓮にとって、こうした金銭的な援助に明け暮れる伝右衛門の態度は、余計に寂しさを増幅させるものでした。伊藤家を取り仕切る妾や外にも存在したという妾の存在もまた、白蓮を孤独の淵へと追いやる大きな要因でした。

▼「踏繪」は柳原白蓮が最初に出した歌集。若き白蓮の告白的短歌の結晶といわれています。

孤独から逃れるように詩作に励んだ白蓮

白蓮が後に起こす宮崎龍介との逃亡劇「白蓮事件」の際に、白蓮は以下のような絶縁状を伝右衛門に叩き付けています。

「私は金力を以つて 女性の人格的尊厳を無視する貴方に 永久の決別を告げます。」

白蓮は空虚な結婚生活に耐えかねて、自身が開く文化サロンの活動、詩作の活動に没頭していくようになります。そんなやり切れない気持ちは、やがて「白蓮事件」へと繋がっていくのです。「寂しさのありのすさびに〜」という歌も、寂しい結婚生活の中で詠まれた歌だったようです。

「ありのすさび」の意味は?

「ありのすさび」【在りの遊び】というのは「あるのにまかせて、特に気にせずにいること」「生きているのに慣れて、なおざりにすること」(岩波書店・広辞苑より)という意味です。

葉山蓮子も心酔している竹久夢二の「花束」という詩の一節に以下のようなものがあります。

「ありのすさびに 花をつみてつかねたれど おくらむひともなければ こゝろいとしづかなり。されどなほすてもかねつゝ  ゆふべの鐘をかぞへぬ。」

「退屈を持て余していたので花を摘んでみたけれど、それを贈る人もおらず…」といった意味で、白蓮の「寂しさの ありのすさびに…」における「ありのすさび」も、この「暇を持て余す」といったニュアンスにやや近いかも知れません。

「寂しさの ありのすさびに 唯(ただ)ひとり 狂乱を舞ふ 冷たき部屋に」

寂しさのあまりぽっかりと心に穴があいた空白の時間の中、一人冷たい伊藤邸の部屋で、白蓮は「狂乱を舞ふ」心持ちで居た、ということでしょうか。

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