NHK連続テレビ小説「花子とアン」第7週では、安東はな(吉高由里子)の妹・かよ(黒木華)による製糸工場からの逃亡劇が描かれます。
当時、製糸工場の女工は過酷な労働環境にさらされていたともされ、安東かよの姿を通して当時の女工の苦しい生活が浮き彫りになっていきます。
はなの勉学を応援し働く妹・かよだったが…
東京の女学校に通うはなを「家族の希望の星」だと言い、自らは製糸工場の女工として働いていた安東家の次女・かよ。家計が苦しい安東家でしたが、かよが製糸工場で必死に働いて給金を前借り・送金し続けることで、何とか生活が成り立っていたのです。
懸命に女工として働いていたかよでしたが、その劣悪な労働環境に堪えきれず、ついに工場から逃亡してしまいます。その逃亡劇に地元山梨では大騒ぎになっていましたが、かよは密かに、はなの寄宿舎に身を寄せていました。
世界遺産で話題の富岡製糸場は国家的モデル事業
『ああ野麦峠』『女工哀史』に代表されるように、明治から大正にかけての民間製糸工場では非人間的で過酷な労働環境があったと言われます。
先日、群馬県の「富岡製糸場」が世界遺産に登録されることが決定し、大きな話題になりました。富岡製糸場は日本で初めて大規模な機械が導入された「官営」(=国)の製糸工場で、後に続く日本各地の「民営」の製糸工場のモデルケースとなった工場です。
富岡製糸場は国家の威信をかけ巨額を投入した「巨大公共事業」のようなものであり、当時としては最先端の設備と労働環境を誇っていたと伝えられています。ただしその労働環境には諸説有り、(特に民営に移管後は)非常に厳しい労働を強いられたという説もあるようです。
▲良好な労働環境を誇ったという群馬・富岡製糸場の内部。女工たちが並ぶ労働風景は壮観だったはず。極東の島国として急速に近代化を図った日本の製糸業は、近代化の屋台骨になったと同時に悲しい記憶もつくり出しました。
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日本の近代化を支えた製糸業の悲哀 貧しい小作人の娘たちが女工に
「花子とアン」の安東かよが働く製糸工場は、恐らく利益をギリギリまで追求する民営によるものでしょう。日本の近代化を支えたこれら民営の製糸工場では、現代の我々からすると想像を絶するような過酷な労働・搾取が行なわれていたようです。
地方の小作人や都市の下層の家に生まれた娘たちが、身売り同然で(親が前金を受け取り、引き換えに娘を渡す)工場へと引き渡され、周囲に鉄条網を張り巡らせた(もちろん逃走防止の為です)敷地内で連日2交代制の12時間労働、時には24時間まるまる働かされていたといいます。
家族が給金を前金で受け取っているがために、辛くても逃げ出せない状況…。まさに安東はなが置かれていた境遇と重なりますね。
結核、死…若い女工たちに青春はなかった
彼女らに与えられた休息のスペースは、大部屋の一人一畳ほどの寝場所のみ。年頃の女性にとってあまりに過酷な環境の中、ろくに与えられない粗末な食事、睡眠不足も相まって女工たちは衰弱し、結核を発症する者、死んでしまう者も多数居ました。
そこから逃亡しようとして見つかってしまうと、見せしめの公開リンチが行なわれていたというのですから、女工にとってはただ絶望の日々が続いたことでしょう。
▼当時の女工の過酷な生活を知るには「女工哀史」がおススメ。
東京のはなの元に逃げ込んだかよ 新しい人生が始まる
必死の思いで製糸工場を抜け出した安東かよは、東京の姉・はなの寄宿舎に逃げ込みます。かよの逃亡により安東家に残った借金は、なぜかお金持ちの地主・徳丸甚之介(カンニング竹山)が立て替えてくれ(実はいい人?)、かよは東京で新しい人生を歩む事になります。
はなが女学校で華やかな青春を送っていた頃、かよは製糸工場で死ぬ思いをして働いていた…そうした事実を知ってドラマを見ると、かよを演じる黒木華の切実な演技を見る目も変わってくると思います。