NHK連続テレビ小説「まんぷく」では、ヒロインの夫・立花萬平(長谷川博己)が次々に新しい事業に挑戦しては挫折を繰り返す姿が描かれていきます。
この記事では、ストーリー上で萬平が携わった仕事、職業、立ち上げた会社などをまとめていきます。
「たちばな工房」で幻灯機を製造…1938年・萬平28歳
ドラマの開始当時(1938年・昭和13年)、萬平は大阪・心斎橋近くの商店街に構えた小さな工房「たちばな工房」で幻灯機などの製品を開発、販売していました。
「たちばな工房」は竹ノ原大作(宮田佳典)という社員は居たものの個人経営に近く、萬平が営業が苦手であったこともあり売り上げもさっぱり。そんな折、営業が得意な加地谷圭介(片岡愛之助)が共同経営者として事業に合流すると、「たちばな工房」は次第に売り上げを伸ばしていきます。
「理創工作社」で根菜切断機を開発…1941年・萬平31歳
物語のスタートから3年が経った1941年(昭和16年)になると、「たちばな工房」は「理創工作社」という社名に変わっています。
共同経営者・加地谷(肩書き上は社長)の貢献もあり、それなりに立派な社屋を構えるまでに会社は成長。この頃の萬平は、幻灯機づくりを続けながら、新たな挑戦として根菜切断機を完成させています。加地谷の顔の広さもあり大阪商工会の定例会にも出席し、三田村商工会長(橋爪功)や事業家・世良勝夫(桐谷健太)とも出会っています。
憲兵に捕まる、加地谷逃亡…1942年・萬平32歳
古くからの社員・竹ノ原に召集令状が届いた1942年(昭和17年)。萬平は突然軍需物資を横流ししたとして大阪憲兵隊に連行され、長期にわたり拘束されてしまいます。
世良や三田村の貢献もあり萬平は釈放されますが、物資を横流していた真犯人・加地谷は逃亡してしまい、萬平も抑留中の暴行により内臓に深刻なダメージを受けてしまいます。
萬平は社員たちに退職金を支払って雇用を解消し、「理創工作社」は実質的な解散状態に。
飲料水製造機で再起を図る…1944年・萬平34歳
萬平と福子が結婚してから一年が過ぎた、1944年(昭和19年)の春。戦争が激化する中で、萬平は飲料水製造機の開発販売を手がけ、「理創工作社」の復興に着手しています。
しかし若い働き手は皆戦争に行ってしまい、スタッフは老人ばかり。
終戦 すべてを失いハンコ作りで再スタート…1945年・萬平35歳
大阪大空襲の三日前である1945年(昭和20年)3月10日に大阪を離れ、兵庫・上郡近くの「黒竹村」に疎開した萬平と福子。この時期、腹膜炎を発症した萬平は疎開先で療養に努めていますが、「お国のために」何ら役立てない不甲斐なさを感じた萬平は、深い自責の念にかられています。
終戦後に大阪に戻ると「理創工作社」の社屋や自宅は空襲で跡形もなく焼けており、萬平と福子は文字通り全てを失ってしまいます。
萬平たちは香田家に身を寄せると、闇市でハンコが必要とされていることに気がつき、見よう見まねでハンコ作りを開始。日銭を稼いで苦しい戦後混乱期を乗り越えています。
泉大津で「たちばな製塩」…1946年・萬平36歳
大阪・泉大津で旧陸軍の倉庫が空いていることを世良勝夫から紹介された萬平。いつまでも忠彦・克子夫妻の家に厄介になるわけにもいかないと考えた萬平と福子は、この泉大津の空き倉庫に移り住むことになります。
倉庫には大量の鉄板が置かれたままになっていました。この鉄板を見た萬平は発明心に火がつき、目の前に広がる海を利用して製塩業を営むことを思いつきます。神部の助力もあり戦争で行き場を失った多くの若者たちが集ると、賑やかな塩づくりの日々が始まります。
「たちばな栄養食品」のダネイホン…1947年・萬平37歳
産後の肥立ちが悪かった福子を見て「栄養食品」の必要性を感じた萬平は、滋養豊かな「ダネイホン」の開発に着手。この頃、不発弾騒動で社員全員が拘束されたことで塩作りの現場は荒廃し、製塩業の廃業を決意します。
「たちばな製塩」は「たちばな栄養食品」と名前を変え、ダネイホンの製造に専念。「萬平印のダネイホン」のキャッチコピーで売り出された同商品は好調な売れ行きを見せます。
東京販売所を開設するなど成長を見せていた「たちばな栄養食品」でしたが、萬平が不当な脱税容疑で逮捕、追徴課税を要求されたことで会社は解散に追い込まれてしまいます。
「池田信用組合」の理事長に就任…1949年・萬平39歳
脱税容疑により長期に渡り拘束され、「たちばな栄養食品」を失った萬平。再び無職となってしまった萬平でしたが、一連の理不尽な脱税騒動により萬平は国民の英雄となっていました。
そんな萬平のもとに池田で信用組合をつくるという男がやってくると、萬平は理事長就任のオファーを受け、悩んだ末にこれを受諾します。
金融業界に経験を持つ真一を右腕とし、萬平は理事長として社会に貢献していきますが、やがて「ものづくり」の現場に出会うと心を惹かれていき…。
「まんぷく食品」創業…1958年・萬平48歳
経営不振の責任を負う形で池田信用組合の理事長を辞すると、自宅裏庭の研究所で苦心を重ね、ついに即席麺「まんぷくラーメン」を完成させた萬平。このラーメンを製造販売する小さな会社「まんぷく食品」が立ち上がると、萬平の親族やかつての仲間たちが続々と仕事を手伝ってくれるようになります。
やがて「まんぷく食品」は急成長を遂げ…。