【まんぷく】萬平の会社「たちばな工房」「理創工作社」 モデル企業はある?

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NHK連続テレビ小説「まんぷく」で、ヒロインの夫となる立花萬平(長谷川博己)が営む小さな会社「たちばな工房」。そして、加地谷と合流し発展させる「理創工作社」。

この「たちばな工房」「理創工作社」にはモデル、モチーフとなっている会社、企業があるのか、まとめます。

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研究所のような「たちばな工房」

立花萬平は幼い頃に両親を亡くし、各地を転々としながら育っています。こうした生い立ちもあり、萬平は早くから自立心を持ち、自分自身で稼いで生きていく覚悟を持っているようです。

そんな萬平が立ち上げたのが、大阪の中心部・心斎橋にも近いと思われる商店街に構えた「たちばな工房」です。萬平は商いは得意ではありませんでしたが、発想力と行動力に富み、この工房で「幻灯機」などの新しい製品を開発し続けています。

萬平のこうした研究家、発明家としての気質は生涯続いていき、様々な人との出会いを経て、世界初の「インスタントラーメン」発明へとつながっていきます。

また、「たちばな工房」を営んでいた営業下手な萬平は、共同経営者・加地谷(片岡愛之助)とともに「理創工作社」を興し、加地谷の営業力もあり「理創工作社」を大きくしていきます。

※「たちばな工房」ならびに周辺の商店街のシーンは「京都撮影所」(東映太秦映画村)のセットで行われています。「理創工作社」の社屋シーンは、NHKのスタジオ内セットでしょう。

モデルは安藤百福の最初の会社?

立花萬平のモデル人物である日清食品創業者・安藤百福氏は、萬平のような研究者気質の「発明家」というよりは、「商人」としての才覚を見せ、若き日に自らの事業をスタートさせています。

日本統治下の台湾に生まれ、早くに両親を亡くした安藤氏。育ての親となった祖父が繊維や織物を扱う呉服屋を営んでいたこともあり、学校を出ると祖父の仕事を手伝うようになり、22歳で台北市に「東洋莫大小(メリヤス)」という会社を設立し、独立をしています。

この「東洋莫大小」という会社は、メリヤス(綿糸または絹糸などで、機械を用いてよく伸縮するように編んだ編地、布地とそれらを使った商品)を日本の内地から仕入れ、台湾で販売するという事業が主でした。

安藤氏は時代のニーズを読む商才があったのでしょう。事業はすぐに成功を収めて大忙しになると、さらなる挑戦として、当時繊維産業の中核地だった本土・大阪に進出して「日東商会」を設立。繊維関係の問屋業務を始めています。

安藤氏の事業欲はどんどんと大きくなり、養蚕事業(+ひまし油製造)、戦争の時代になると幻灯機の製造、疎開先での炭焼き事業、バラック住宅製造、軍需工場の共同経営などを次々に展開しています。

安藤氏の若き日の奮闘がモチーフか

以上のような経緯から、基本的に小さな町工房「たちばな工房」とそれに続く「理創工作社」はドラマ上のフィクションの存在といえそうです。

強いていえば、安藤氏が台湾から大阪へとやってきて興した「日東商会」と、そこから幻灯機製造など様々なアイディア事業、製造業に手を出していった若き日の安藤氏の足跡をモチーフにして「たちばな工房」「理創工作社」のイメージが創作されたといえそうです。

安藤氏は大阪の戦災により事業のほとんどを失うと、戦後に大阪・泉大津で製塩業、漁業を開始。1948年(昭和23年)には日清食品の前身となる「中交総社」を立ち上げています。おそらく「理創工作社」も、大阪の戦災により大きなダメージを受けることになるでしょう。

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