【マッサン・モデル】大日本果汁(ニッカ)リンゴジュース製造から経営が安定するまで

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NHK連続テレビ小説「マッサン」では、北海道・余市に渡ったマッサン(玉山鉄二)が立ち上げた「北海道果汁株式会社」が、リンゴジュースで売り上げを確保しようと苦難する姿が描かれています。

ドラマのモデルとなった史実の「大日本果汁株式会社」(創業者・竹鶴政孝)もまた、リンゴジュースでの利益の確保、事業を軌道に乗せるまでには苦労を重ねました。

この記事では、ドラマの会社のモデル・大日本果汁株式会社がリンゴジュースを売り始め、会社の経営が軌道に乗るまでをまとめました。

高い値段、本格的すぎる味、遠路の納品…

夢であるウイスキー事業を始めるまでのつなぎ役として、余市の特産品・リンゴを用いてつくられていた大日本果汁製のリンゴジュース。

大日本果汁製のジュースは、道内の大きな病院などに納入する販路は確保していましたが、一般の店頭での売れ行きは芳しいものではありませんでした。当時としては高値であった値段設定と、添加物を加えない真面目すぎるその味が、なかなか消費者の理解を得られなかったのです。

それに加え、小樽から遠路東京、大阪方面へと船便(便によっては一ヶ月近くを要した)で納品を行っていたので、その間に積雪などによりラベルにカビが生えたり、成分の凝固により濁りが出たりして、商品としては到底売れないものが頻出しました。

竹鶴はリンゴジュース、ゼリー、アップルワインなどを製造しながら、平行してウイスキーの原酒づくりにも着手していきます。リンゴジュース等でじゅうぶんな利益を出せない苦しい状況ではありましたが、未来を見据えて原酒をつくり続けたのです。

戦争特需

見切り発車で始まった大日本果汁のウイスキーづくりでしたが、念願の初製品「ニッカウヰスキー」が完成・発売される頃には戦争という思わぬ時代の「追い風」を受けることになります。

昭和16年から突入した「太平洋戦争」により大日本果汁は「海軍監督工場」に指定され、大麦を始めとした原料の優先的な配給、配給組合の製品買い上げなどが行われました。

大日本果汁でつくられるウイスキーや酒類は国家から保護された状態で生産できた上、各種酒類が不足していた世の中の事情もあり、つくる側から飛ぶように売れたのです。こうした時代の要請もあり、創業以来苦しんでいた資金繰りも大幅に改善し、赤字解消の目処がつきます。

貯蔵庫に集積した原酒たち

昭和20年、終戦の頃には資本金が当初の十倍、百万円に増資されただけではなく、大日本果汁の貯蔵庫の中には戦争を耐え忍びながら貯えられた多くのウイスキー原酒の樽が眠っていました。この原酒が、大日本果汁にとって大きな財産になっていきます。

リンゴジュース製造から始まり、経営の先行きが見えなかった大日本果汁。戦争という思わぬ特需によって力を蓄えた大日本果汁は、国内有数のウイスキーメーカーとして、確固たる地位を築いていきます。

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