NHK連続テレビ小説「おちょやん」に登場した劇団「天海天海家庭劇」についてまとめます。
この劇団は、戦後に2代目渋谷天外が立ち上げた独自劇団「すいーと・ほーむ」がモチーフになっている可能性があります。
道頓堀の瓦礫の中で「天海天海家庭劇」が再始動
戦前は大山鶴蔵社長が経営する「鶴亀株式会社」のもと、「鶴亀家庭劇」と名乗っていた一平たちの劇団。
戦争末期にいよいよ興行がままならなくなると、大山社長の命令により「鶴亀家庭劇」は解散となりますが、千代はこれを受け入れず、鶴亀の冠を消した「家庭劇」の名で劇団の存続をはかっています。
大阪大空襲、そして敗戦を経て再び結集した家庭劇のメンバーは、新たに「天海天海家庭劇」を名乗り、瓦礫の山と化した道頓堀で戦後最初の公演を打ち出します。
敗戦に傷ついた人々に笑いを届けることに成功した「天海天海家庭劇」一座は、芝居が出来る場所を求め、荷車を引いて全国行脚の旅に出発。
一平と千代は数年の地方ドサ回りを経験した後に、大山社長からの指令を受けると、新しい劇団「鶴亀新喜劇」に参加することになります。
劇団「すいーと・ほーむ」がモチーフか
少し状況や設定は異なりますが、劇中に登場した「天海天海家庭劇」は2代目渋谷天外(天海一平のモデル)が戦後(昭和21年)に立ち上げた独自劇団「すいーと・ほーむ」がモデルになっている可能性があります。
戦前に「松竹家庭劇」で活躍した渋谷天外・浪花千栄子夫妻。戦時中は千栄子の故郷である大阪・富田林(東板持)に疎開し、藤山寛美ら家庭劇の若手らと共同生活(稽古の日々)を送りながら難を逃れると、戦後に松竹家庭劇の再開を目指して始動しています(本拠は富田林のまま)。
ところが、天外が家庭劇の盟友・曾我廼家十吾(須賀廼家千之助のモデル)とすき焼きの食べ方をめぐり大喧嘩をしてしまうと、長年くすぶっていた天外と十吾の関係はついに破綻。天外は松竹家庭劇を退団すると、独自の劇団「すいーと・ほーむ」を立ち上げています(昭和21年)。
「すいーと・ほーむ」には天外と千栄子のほか、二人を慕う家庭劇のメンバー25人などが参加しています(後に満州から命からがら帰国した藤山寛美も合流)。しかしほとんどが素人同然の若手役者である上、頼みだった松竹からのお給料も貰えなくなったため、一座は地方巡業で日銭を稼ぐしかありませんでした。
「すいーと・ほーむ」は当時の劣悪な交通状況の中、約2年半に渡り全国各地で巡業を重ね、娯楽に飢えていた各地の人々を楽しませています。松竹の傘の下から離れたこの時期、天外は座長、そして一座の経営者・責任者として貴重な経験を重ねています。
やがて喜劇界の巨星・曾我廼家五郎(須賀廼家万太郎のモデル)が喉頭がんで亡くなると、松竹主導による喜劇界の大再編が勃発。「松竹家庭劇」「すいーと・ほーむ」「五郎劇」が大合同し、今日まで続く「松竹新喜劇」が発足しています。
「家庭劇」と「新喜劇」の間をつなぐ戦後の空白期間(松竹/鶴亀傘下から離れた独自劇団で全国行脚)という意味で、「天海天海家庭劇」は「すいーと・ほーむ」と類似します。