【真田丸】松(村松殿)の人生とは?本能寺の変で行方不明 子供は?

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NHK大河ドラマ「真田丸」に登場する、真田家の長女・松(木村佳乃)についてまとめます。松は「村松殿」の名前で知られる実在の人物です。

「村松殿」という名前の由来、本能寺の変後の行方不明騒動などについてもまとめます。

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目次

真田昌幸の長女・村松殿

村松殿(於国ともいう)は、真田昌幸の長女として永禄8年(1565年)に生まれています。弟の信之とは一歳違いで(信之と信繁も一歳違い)、信之、信繁ら弟との関係は良好だったといわれます。

村松殿は天正10年(1582年)頃に甲斐国都留郡の国衆・小山田一門である小山田茂誠に嫁いでいます。夫・茂誠との間には子・小山田之知が生まれており、之知は大坂の陣に徳川方の将として参戦しています。

織田家の人質になっていた?村松殿

村松殿は、甲斐武田家滅亡後に昌幸が織田に従属すると安土に人質に出され、本能寺の変の際に行方不明になったとされます(「加沢記」による)。

「真田丸」第6話ではこうした記録をベースとして、松が安土脱出の際に信繁らとはぐれ、追い詰められた末に琵琶湖に身を投げるという衝撃の展開が描かれます。(※松は一命を取り留めるものの記憶喪失になり、琵琶湖のほとりの漁師に保護される)

ただし、『真田一族と家臣団のすべて』(新人物文庫・丸島和洋著)などによれば、昌幸は実際には安土に人質を出しておらず、昌幸が配属された滝川一益の居城・厩橋城(まやばしじょう=前橋城)に人質を出したはず(その人質自体も、信繁とその母だった?)という説もあるようです。

「真田丸」で描かれる松の行方不明騒動は、あくまで諸説のうちのひとつを採用して描かれる顛末です。

▼『真田一族と家臣団のすべて』著者の丸島氏は、「真田丸」で時代考証を担当。本書にはドラマとは異なる史実の見解も書かれており、あわせて読むとよいでしょう。

村松殿の名の由来とは?

本能寺の変から8年後の天正18年(1590年)には、夫・茂誠が昌幸のもとに出仕しています。

その際に茂誠は小県郡・村松郷(長野県青木村)の領地を与えられ、村松殿もそこに住んでいたとされます。後世に伝わる「村松殿」の名称は、この地からとられたといわれます。

信之、信繁に慕われた長女

村松殿はドラマでも描かれるように弟・信之、信繁から慕われ、その関係は良好でした。

信繁は「大坂冬の陣」(慶長19年=1614年)の後に村松殿に消息を送り、その中で村松殿と再会したいとの想いを綴っています(結局信繁は夏の陣で討死しており、再会は実現せず)。

また、元和8年(1622年)に信之が松代に移封された際には信之を気遣う消息を送っており(その後、村松殿も松代行きに従ったはず?)、末永く兄弟の関係が良好だったことをうかがわせます。

茂誠より先に亡くなる 墓は松代・長国寺

「真田丸」では夫・茂誠との純愛、ラブラブぶりが描かれる松。村松殿は寛永7年(1630年)、夫に先立って亡くなっています(茂誠はその7年後に死去)。

真田家の菩提寺・長国寺(長野市松代町)には村松殿の墓があり、その隣りには夫・茂誠の墓石が並んでいます。

▼真田昌幸、信繁の供養碑や真田信幸の霊屋(国指定重要文化財)、真田家墓所がある長国寺。

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